彼の恋をみんな知ってる(アルド以外)


(な、んだよあれ……っ!)

慌てて隠れた次元戦艦の廊下の角、壁を背にしたセヴェンは片手でゴーグルごとニット帽を掴み、ぐっと鼻下までずり下げる。分厚い布の中に閉じ込めた目の下はかっかと熱く火照っていて、ただでさえ熱のこもっていた布の中があっという間に温度を上げた。
ばくばくと騒ぐ心臓を宥めるように左胸を何度も撫で付けて、慎重に息を深く吸っては吐いてを繰り返す。幸いにしてセヴェンに多大なる衝撃を与えたものの残像は既に混乱によってうまく形として頭の中に残ってはおらず、ちょうど十回、深呼吸を繰り返したところで鼓動が徐々に収まりゆく兆候を見せた。
手のひらに伝わるリズムが、ドドドドドからドッドッドッになった頃合にもなれば、ニットの中に隠した顔の上半分を出して、外気に晒す余裕も出てくる。
しかしそうなると困ったもので、今度は好奇心がむずむずと顔を出す。見ない方がいいとは分かっているのに、動揺の原因をもう一度、この目で確認したくなってしまう。
どうしようか、しばしの逡巡の後、セヴェンは廊下の角からそろそろと顔を出した。ちょっとだけ、一瞬だけ、確かめてみようと思ったのだ。

そのちょっと、の好奇心を抑えきれなかったのが、よくなかった。
顔を覗かせた途端、飛び込んできたのは仲間と談笑するアルドの姿。それはいい、いつもの事だ。
けれど決定的に、アルドにはいつもと違う部分があった。

(やややややっぱり、あ、アルドの、髪が、短い……!)

長い、というほどではないけれど、癖のある髪はぴょんぴょんと跳ねて緩やかなうねりを作り、襟足を隠すくらいの長さはあって、前髪だって、汗に濡れれば完全に目を覆ってしまえるくらいには伸びていたのに。
視線の先のアルドの髪は、全体的に綺麗さっぱりと切られて短くなっていた。プライほど短くはないけれど、マイティやギルドナよりももっと短い。前髪は眉毛の上にあって完全に額が覗いていて、耳にかかる髪がなくなってその形まで綺麗に確認できてしまうし、襟足はうなじが見て取れるくらいに切りそろえられている。

遠目にも関わらず一瞬でそれらの視覚的情報を読み取ってしまったセヴェンは、ひっと短い悲鳴を上げて、また廊下の角の影にぴゃっと引っ込んで、ずるずるとその場にしゃがみこんでしまう。再度騒ぎ始めた心臓を宥めようとするも、今度は混乱と衝撃でぼやけることなくしっかり目に焼き付けてしまったその姿のせいで、落ち着くどころか激しくなる一方だ。

(やばい、アルド、かわいい、かっこいい、なんだあれ……あんな、あんな首丸出しで、おでこまで見えてて……かわいい、し、え、えろい……)

今更わざわざ説明する必要もなさそうだが、セヴェンはアルドの事が好きだ。仲間としても当然好きだけれど、それだけじゃなく、恋人になってほしい、という意味で好きだった。
自覚しないうちから着々と育っていた気持ちに気がついた時は、それはもう大変だった。意識しすぎてアルドの顔をまともに見ることが出来なくって、顔を見なくても声だけで動悸が激しくなって、ろくに会話すら出来なかった。
おかげでアルドには何か怒らせるような事でもしたのかと随分と気に病まれてしまったし、IDAの仲間たちにはあっさりとセヴェンの気持ちがバレてからかわれたり呆れられたりして、何から何まで散々だった。

だけど最近はようやく、アルドの顔を見ても取り乱さなくなってきた所だ。隣に立てば馬鹿みたいに心臓が騒ぐのは変わらなかったけれど、それを表に出さない程度にはコントロール出来るようになったし、ちょっぴりぎこちなさは残っていたけれど、前みたいにたわいもない話で笑い合うことも出来るようになっていたっていうのに。

(あれは、だめだろ……あんな、あんな……)

廊下に蹲り脳内で髪の短いアルドの姿を何度も反芻していれば、ぶる、と尻のポケットが震えた気がして、のろのろと取り出せばグループチャットの更新を告げる文字。
一体なんなんだ今はそれどころじゃないってのに、と思いつつも律儀にアプリを立ち上げたセヴェンの目に飛び込んできたのは、更なる爆弾だった。

『見て見て! アルド髪切ったんだって!』

メッセージの送り主は、フォランだった。アルドの髪に気を取られすぎて気づいてはいなかったけれど、先程の場にフォランもいたらしい。短いメッセージに続いたのは、どアップのアルドの写真の数々。前、横、後ろ、少し離れた場所から、と次元戦艦の廊下をバックに様々な角度収められたアルドの姿に、セヴェンは震えつつも画面から目を離すことが出来ない。

『わー、アルド短いのも似合うね』
『いつもより、幼く見える』
『そうだな。すっきりした』
『この髪型なら制服も似合うんじゃないか?』
『いいね、今度着せてみようか』

フォランの写真を見たグループの仲間たち、IDAのメンバーたちからもそれぞれメッセージが入ってきて、あっという間に写真が流れてしまったけれど問題ない。見た瞬間に無意識で保存していた。画面の半分にアプリを表示させたまま、もう半分に手に入れたばかりのアルドの写真を表示したセヴェンは、うっと低い呻き声をあげて俯く。なんとなく、端末は頭上に掲げるように持ってしまい、まるで祈りを捧げているような格好になってしまった。

(すごい、アルドの髪が短い……、か、拡大も出来る、すごい……アルド、かわいい、かっこいい、かわいい、かっ、っこいい……え、えろい……)

遠目から見ただけでも破壊力がすごかったものが、手元にある事が信じられない。けれど一周回って逆に冷静になりつつあったセヴェンは、写真を一枚一枚じっくりと隅々まで眺め倒すことにした。
完全に露わになった眉毛は手入れはされていないのに、横から写したものはきりっと吊りあがって非常に凛々しい。けれどそれが正面からとなると、少し困ったように浮かべた笑顔に合わせて、へにょりと眉尻が下がる様が克明に写されている。額は案外ひらべったくて、こめかみのあたり、僅かに窪んでいる場所を見つければ、本物でないと分かっていても画面越し、指を伸ばして何度も何度も撫でてしまった。
後ろから撮られた写真、剥き出しになったうなじはただでさて見てはいけないもののような、Rで指定された画像のような気がしてしまうのに、拡大してよくよく見てみれば、髪が長い時には完全に隠れてしまっていた生え際ぎりぎりに小さな黒子がぽつんと一つあることに気づいた時は、異様に興奮しすぎて思わず吐きそうになる。

いつのまにか端末と顔の距離はほぼゼロに近づいていて、ふすふすと荒く吐き出される息で画面が白く曇る。チッと舌打ちして乱暴にごしごして曇りを拭ってもすぐにまた曇って、アルドが隠されてしまう。
顔を離せばいいだけの話なのに、アルドの写真に集中しすぎて全くそれを思いつけないセヴェンが何度目か、画面を拭った時。

『おーいセヴェン生きてるー?』

視界の隅に流れた自身の名に、ようやく少しだけ正気が戻ってくる。
セヴェンがアルドの写真を食い入るように見つめている間にも、アルドの髪の話で盛り上がっていた仲間たちが、オンラインではある筈なのに反応のないセヴェンを訝しく思ったのか呼びかけてくる。全員にセヴェンの気持ちはバレていて、半分くらいはからかいも混じっているのだろう。
画面の向こうの仲間たちが面白そうに、あるいは微笑ましげに笑っているだろうことは分かってはいたものの、仕方なくセヴェンは文字を入力して送信した。その間も画面の半分、アルドの写真から目は離さないまま。

『ふざけるななんだこれほぞんしたわありがとう』
『笑う』
『やっばウケる』
『lolol』

結果、全くそんなつもりはなかったのに、ひどくたどたどしくなってしまったセヴェンの言葉にすかさず仲間たちからの反応が入る。絶対あとでまたからかわれるやつだ、と分かりつつ、『しゃしんみる』との片言の報告だけを残して、アプリを畳んでアルドを眺める事に集中することにした。

それにしても、やばい。
髪が長いアルドだってかっこよかったけれど、髪の短いアルドは幼さが加算されてかっこよさにかわいさがプラスされていてまずい。こんなもの、至近距離で本物を見てしまったら確実に挙動不審になってしまう。まともに話せる気がしない。
以前、恋を自覚した時だってそのせいで、アルドには心配をかけてしまった。何か悪いことしたのかな、としょんぼりと落ち込んだ顔をさせてしまった。
だから、これは必要なことなのだ。またアルドを避けてしまわないために、まずは写真に慣れなけれはいけない。けして下心とかそういう意味ではなく、これからアルドと接してゆくのに、しなくてはならないことなのだ。

そう自分自身に言い訳をして、改めてじっくりとアルドの写真を堪能しようとしていたセヴェンは、すっかり忘れていた。
ここが次元戦艦の廊下で、髪が短くなった事が見て取れるくらいには、近い距離にアルドがいる事を。

「あれ、どうしたんだセヴェン? こんな所で座り込んだりして」
「ひっ! あ、ああああある……っ」

セヴェンが端末に視線を落としてすぐ、ひょい、と廊下の角から顔を出したのは、画面の向こうにいる筈の髪の短いアルドだった。まだ全く慣れるどころか心の準備すら出来ていなかったセヴェンは、アルドの声にぎくぅ、っと大きく肩を跳ねさせ、咄嗟に端末をポケットに放り込んでから、恐る恐る視線を上げる。
アルドだ、アルドがいた、それも髪の短いアルドだ。
写真を見つめるだけでもおかしいくらいに心臓の鼓動が速くなって、まともに何も考えられなくなるっていうのに、本物の髪の短いアルドがセヴェンの目の前にいる。

「顔が赤いな……もしかして調子が悪いのか?」
「か、か、かっ、かかかか」
「か? ……風邪か?」

実際、間近で見てしまえば、本物の髪の短いアルドはセヴェンにはまだあまりにも早すぎた。
直前まで写真でじっくりと眺めていたのに、質感からして生々しくて静止画像とはまるで違う。髪が減った分見える肌の量が増えていて、アルドが口を動かせばあまつさえそれが一緒に動いたりなんてしてしまう。
生身だから当たり前のことなのだけれど、そんな当たり前にもいちいち動揺してしまうセヴェンは、ぱくぱくと開閉する口から飛び出した文字の羅列に、一体自分が何を言いたいのかすら分からなくなっていた。

そんなセヴェンの様子を見たアルドは、心配そうに眉を寄せて、セヴェンの目線に合わせて座り込む。ますます顔が近い、かわいい、勘弁して欲しい。
そして伸ばされたアルドの手が、セヴェンの額にぺとりと触れると、首を傾げてそのままぐいと前髪を上げられる。たったそれだけ、手で触れられただけでも、張り切って勢いよく血液を送り出す心臓のせいで火がついたように全身が熱いって言うのに、それで終わりじゃなかった。
アルドの顔が近づいてくる。気のせいじゃない、間違いなく近づいてきている。拡大した写真よりもずっと質感がリアルな、髪の短いアルドの顔が近づいてきて、そのさらけ出された額が、こつり、セヴェンの額にくっつけられて。

「熱はないみたいだな」

熱の有無を確認したのは、辛うじて分かった。アルドはたまにこういう距離感の接触を悪気なくやる。分かっているけれど、だからといって動揺しないかと言えば全くそんな事はなくって。

「う、う、うわあああああ!」
「あっ、セヴェン! 具合が悪いならちゃんと医務室行くんだぞー!」

少し間を開けて、絶叫とともにずささささと後ずさったセヴェンは、立ち上がって全速力でアルドとは反対方向に逃げてゆく。立ち去る背にかけられたアルドの声が憎らしくて、だけどそういう優しいところが好きなんだよ馬鹿アルドときゅんとときめいてもしまった。

走って、走って、走って、どこをどう走ったのかも分からないまま走り回って、目に付いたエレベーターに飛び乗ればひゅうひゅうと風の吹く甲板に辿り着く。
ぜえぜえと切れた息でこれ以上走り回るのはキツい。
ぐるりと辺りを見回して人影がないことを確認してから、どさりとその場に座り込んだセヴェンは、呼吸を整えてからそっと額に手をやった。
アルドに触れられた部分はまだ熱を持っている気がして、目を瞑れば眼前に迫ったアルドの顔が浮かぶ。キスが出来そうなくらい近くにあったその瞳を思い出せば、ぼふんと顔が火照って耳まで熱くなったから、ふるふると頭を振って流れゆく風にしばし身を任せ、熱を冷ます事に専念する。

やがてようやく冷えてきた頭と共に、せっかくならもう少し我慢してれば、と出来もしない事を考えて、惜しいことをしたと思う余裕も出始めた頃。セヴェンがいそいそとポケットから取り出したのは、先程の端末。スリープモードを解除して一番に飛び込んできたのは、開いたまんまのアルドの画像。一瞬、息が止まりそうになったものの、本物のアルドを眼前で見たせいか多少耐性はついていた。まじまじと見つめれば先程見つけられなかった新たな発見もある。

(どうせ、しばらく戻れないし)

アルドの前であんな醜態を晒してしまった以上、すぐに中に戻ってばったり顔を合わせるのは気まずい。ならば少しでもここで耐性をつけていくべきだ、と決めたセヴェンは、アルド本人によって中断を余儀なくされた写真鑑賞を再開する事にした。


「なあ、アイツ大丈夫かよ。さっきからずっと一人でニヤニヤしてるぜ……」
「しっ。若いものにはいろいろあるのだ。俺たちはしばらく置物のふりをするぞ、いいな」

なお、そんなセヴェンを密かに見守る合成鬼竜と主砲の二体の姿があったのだが、彼らの気遣いによりセヴェンがそれに気づくことはなかった。