セックスすごい
初めては、確か、十二の時。スラム地区の隅、母と住んでいたぼろぼろのアパートの、隣に住む女だった。しょっちゅう男を連れ込んではいたが悪いひとではなく、母が亡くなってアパートを出るまで、何かと面倒を見てくれ手を貸してくれた。その流れで、というのもおかしな話だけれど、夕飯を分けてくれるような気軽さで、筆おろししてあげるよ、と誘われたのがきっかけだったと思う。
それほど悪いものではなかった。気持ちいいなとも思った。だけど、こんなものか、と妙に冷めた気持ちにもなった。
まだ父と暮らしていた頃、通っていたスクールでは早熟な同級生たちが猥談に花を咲かせていて、参加はしなかったものの拾い聞いただけでも、彼らがまだ経験しえぬセックスというものに対して過剰な期待と夢を抱いているのは十分に理解出来た。
それは毎日流れるニュースや、物語の中でも同じ。恋愛絡みの殺人が起きる事もあれば、めでたしめでたしのハッピーエンドには主人公が誰かと恋人になるパターンが多い。それほどみんな、恋や愛に夢中になって振り回されている。
その先にあるものは、つまるところセックスなのではないかと幼いながらませた思考をしていたセティーもまた、そんな世の人々を見るうち、どこかでセックスというものに対して偶像めいたイメージを抱いていたのかもしれない。
華美に淫靡に飾り立てられた虚飾の内側にあったものの呆気なさに抱いた気持ちが、その後も覆される事はなかった。
特定の相手を作ったことはないけれど、それなりに経験は積んできた。幸いと言っていいのか不幸にもと言うべきか迷うところだけれど、その手の誘いは絶えずあって、遊び慣れた相手と過ごす夜はそこそこに楽しくそれなりに気持ちはいい。セックスに対して幻想を抱いてはいない分、冷静に過ごす事が出来たからか、相手を満足させることは出来ていたと思う。一度寝た相手にも再び誘われる事もよくあったから、少なくとも下手ではないはずだ。
けれど一人でする方がよほど気楽な部分もあって、成人を越えてからはより一層その気持ちが強くなった。シチズンナンバーで管理された都市の中、成人を超えれば解禁されるコンテンツは膨大にあって、それを利用すればわざわざ相手を探さずとも手軽に気持ちよく処理が出来る。面倒事も起こらない。
最近のセティーは、たまに人肌が恋しくなる夜に適当な相手を探す事はあったけれど、基本的には一人で処理をして済ませる事が多かった。
だから、確かに、セックス自体は久しぶりだったけれど、けして初めてという訳では無い。それなりに遊び慣れている方だと思っているし、ベッドの相手にもスマートで素敵だとか気持ちが良かったと満足げに微笑まれる事が多かった。
セックスに対して童貞じみた過度な幻想を抱いてはいないから、相手の望むように振る舞えるし、最後まで夢中になりきることなく冷静に過ごすことが出来る。
その、つもりだったのに。
ニルヴァのホテル、ベッドの上、一糸まとわぬアルドと向かい合った、今。
初体験に臨む童貞以上に、セティーの脳内は混迷を極めていた。
(あ、アルドが裸で俺の目の前に……! 無防備すぎじゃないか? 服を着せた方がよくないか? いやだめだ今から俺たちはセックスをするんだ、脱いでいて正解なんだ。アルドとセックス……セックスってすごいな、合法的に裸が見れる……風呂でジロジロ見たらセクハラだし、着替えの時にじっくり見る訳にもいかないし、なのに今は好きなだけ見ていいんだぞ……すごいぞセックス……いやそうだそれがセックスというものなんだ、普通の事だ、落ち着け。落ち着け、俺……アルドの裸、今からアルドとセックス、……セックスって、もしかしてものすごい事なんじゃないか……? セックス、すごい……)
部屋に入ってしばらくは、順調だったと思う。
恋人になったアルドと、そういう事をすると決めて入ったホテル、最初のうちはアルドがそわそわと落ち着かない様子だったから、笑って宥める余裕だってあった。残念ながらバスルームはあまり広くなかったから、アルドに先に入るように進めて、待ってる間にベッドサイドにローションとゴムを準備だってしておいた。アルドをどんな風に可愛がってやろうか、想像して楽しむ余地すらあった。
風呂から上がったアルドが羽織ったバスローブがちっとも似合ってなかったからつい吹き出してしまって、むくれるアルドに悪い悪いと謝ったものの、口元に滲む笑み
消しきれないまま交代でシャワーを浴びに行った時さえ、特に緊張もしてはいなかったのに。
問題はバスルームから出たあと。
バスローブを羽織って濡れた髪のまま部屋に戻ったセティーの目の前に現れたのは、何も身につけないままベッドの上であぐらを組んで座るアルド。
そのアルドが、セティーに気づいて、ふわりと照れくさそうに笑った瞬間。
ぱん、と頭のどこかでネジが弾け飛ぶ音がした。
(まずキスをしてそれから、ど、どうすればいいんだ? 落ち着け、自然な流れで触って、触る、さわる……そうだ、触っていいんだアルドに、恋人だからな。俺たちは恋人だから今からセックスをするんだ。えっマジか、本当に、夢じゃないのかこれ……大丈夫夢じゃない、多分、だってアルドは目の前にいるから幻じゃない、筈だ。そうだそれも触れば分かる、よし、触る、さわるぞ、アルドにさわる……ど、どこを触ればいいんだ……? セックスってこんなに難しかったか? もしかして今までのがセックスじゃなかった……? つまり俺は実は童貞だった……?)
どうやって近づいたかさっぱりと覚えてはいないが、気づけばバスローブを羽織ったまま、ベッドの上でアルドと向かい合っていた。
至近距離で眺めるアルドの裸は破壊力が大きすぎて、何も考えられない。いや、むしろいつも以上にいろいろと考えてはいるのだけれど、何の役にも立ってくれない。
アルドに好意を抱く前から、風呂や着替えの時は極力他人の体を不躾に眺めないようには気をつけていて、アルドを意識するようにしてからは、特にアルドの身体は直視しないように気を配っていた。だからちゃんとアルドの裸を見るのは、これが初めてだ。
アルドのことは好きでたまらないけれど、その体にここまで興奮するなんて思ってもみなかった。同じ性別の体、ある程度は自分で見慣れている。それがアルドであればたとえ人型でなくたって抱けるつもりではあったものの、体そのものに欲を煽られるとは考えていなかった。
なのに、目の前のアルドの裸は、とんでもなくいやらしく見えて仕方がない。アルドの顔を見ずに体だけ見つめてもだめだった。初めて見る肌なのにその形は服の上から覗くアルドの形そのままで、いつもは隠されているものが全て剥き出しになっている。尋常じゃなくエロい。見てるだけでイッてしまいそうなくらいエロい。
うまくやれると思っていた。最高に気持ちよくしてドロドロに溶かしてやって、心も体も全て自分に縛り付けて堕としてやろうなんて、そんなことすら目論んでいた。
しかし今は、堕とすなんてそれどころじゃなかった。
まずどうやって触っていいかすら分からない。今までの事を思い出そうとしてもアルドの裸に気を取られすぎてちっともうまく行かなかった。こんなものか、とずっと思っていたはずに、こんなものどころか触れる前から何もかもがとんでもなくて、何をどうしていいかさっぱり分からなくなってしまった。セックスすごい、セックス難しい、と頭の中に途方に暮れた声が響く。
(胸は、絶対に、触る。絶対にだ。……アルドの乳首、小さくてかわいいな。まだ勃ってない。柔らかそうだ。これが硬くなるのか、興奮する。乳輪も薄い茶色でかわいい。今度買おうと思ってたコートはアルドの乳輪の色にしよう。アルドの乳輪と同じ色のコートを着る、アルドの乳輪の色に包まれる……やばいぞすごくいい……。いや違う今はコートはどうでもいいんだ、アルドに触るんだった。……いきなり胸から触るのは性急すぎるか? 首筋か? 指でアルドの首を、……喉仏、結構大きいよな、アルド。あれ撫でたい。顎も触りたいな、アルドの顎の骨の形をじっくり堪能したい。ついでに耳も触りたいな。アルド、耳は結構弱いって言ってたよな、触って舐めてしゃぶりたい、耳なら口の中に全部入るよな、よし、片方の耳を口の中で可愛がって反対側の耳も指でくすぐって、……待てよ、一緒に触るのは首裏のほうがいいか? アルドの髪の生え際をなぞって、あの髪に指を絡めて、撫でてもやりたいしな。ああ、でも抱きしめて背中も触りたい。背骨のラインを下からじっくり指でなぞって、肩甲骨の形を確かめて、だがそうしたら腰も触りたいよな、くすぐったいからって、いつもあまり触らせてくれないからな……腰骨もつつきたい、くすぐっがっても触り続けて涙目で喘がせてみたい。へそもいいな、アルドのへそ、小さくてかわいい。特にへそについて拘りはなかったのに、アルドのへそ、すごくかわいくないか、なんだあのかわいいものは。触りたい、指入れたい、舐めたい……へそを舐めるのは、セーフか? ……アウト、セーフ、アウト……でもあんなかわいいの舐めたくなるのは当然だ、だからセーフ……いや、やっぱりアウトか? アルドに気持ち悪いと思われたら立ち直れない……アルドはそんな事言わないだろうけど、でも嫌なことは結構はっきり顔に出るもんな……。いつか舐めさせてもらおう、そうだ、また次もあるんだ、俺たちは恋人だからな、恋人、こいびと、アルドと恋人、アルドが恋人……夢じゃないか? 違う、夢じゃない、だから触る、そうだ触るんだ。俺はアルドに触る、よし。それで、どこを触ればいいんだ、胸と耳と首と背中と腰と腹と……おかしい、腕が足りないぞ、せめて十本は必要じゃないか?)
おかしいのは腕の数じゃなく頭だ。分かってはいるけれど、暴走する思考を止めることが出来ない。
腕の数が足りないことが本気で悔しくてちょっぴり泣きそうになって、あまりに馬鹿馬鹿しいと思ってもいるのに、ロベーラに聞いて取り外しの出来る腕パーツを手配しようか、だなんてまた、思考が新たな方面へと暴走しかけた時。
アルドの手が伸びてきて、バスローブの中に潜りこみそっとセティーの胸に触れた。
「あ、アルド?」
「うわ、すごくドキドキしてる……良かった、嫌になった訳じゃなかったんだ」
「い、いや? それは、どういう……」
「だってセティーずっと難しい顔で黙ってるから、もしかしてやっぱり、オレとエッチは無理だと思ったのかなって」
「そんな訳ないだろう!」
「うん、それはもう十分わかったよ」
確かにアルドの体を凝視したまま黙ってしまったのは悪かったけれど、したくないなんて事がある筈がない。いろいろやりたいことがありすぎて、脳内で新たな腕を発注する算段をつけかけたくらいなのだ。
「アルド、あるど、すき、好きだ、好きなんだ……ひっ?!」
分かった、とは言ってもらえたけれど、誤解だけはされたくなくって、必死で言葉を連ねる。いつもならもっと、うまい言い回しで気持ちを伝えられた筈なのに、出てくるのはアルドの名前と、好きだという言葉だけ。
そんなセティーの告白を聞いてくすぐったそうに笑っていたアルドは、何度かセティーの胸を優しく撫でたあと、ふいにつん、と乳首を指で弾いた。不意打ちについ悲鳴を上げれば、あやすようにゆるゆると手のひら全体で胸を撫でる。触れた手のひらからアルドの温度が伝わってくるのがたまらなく気持ちがよかったけれど、このままではなんだか不味い気もしていた。
「オレの方が慣れてないから、最初は全部セティーに任せようと思ってたけど」
「あ、アルド、まっ、んっ……!」
最初は、セティーがアルドを抱く。二人で話し合って決めたこと。二人の今までの経験も正直に話して、後ろを使うセックスだから、この手の事に慣れているセティー
が抱く側に回った方がいいだろうとの話になった。正確には、そういう風に仕向けた。
アルドはどちらでも構わないと言っていて、セティーもどちらでもいいとは言ったが、どちらかと言えばアルドを抱きたかった。今までの経験から、挿入側では自慰の延長線上の快感しか得られないと思っていたから。だったら一人ではけして知ることの出来ない快感をその身に教えこんで、アルドにもっと自分に夢中になってほしかったから。
けれどいざ相対してみれば、夢中にさせるどころか自分がアルドの裸だけで混乱するくらい何もかもを鷲掴みにされてしまっているばかり。こんな筈じゃなかったのに。
ゆっくりと話しながらも、アルドの手の動きは止まらない。乳首を潰すようにぎゅっぎゅっと手のひらを押し付けて、ゆるゆると撫でてを繰り返し、だんだんと硬くなってゆく乳首をなぞるように指先でつつく。胸なんて自分で弄った事もなく、誰かに弄らせたことだってないのに、すごく、気持ちがいい。
たまらずに漏れた声に、アルドの浮かべた笑みが深くなり、顔を近づけてそっとセティーの耳に囁いた。
セティーがすごくきれいでかわいいから、さわりたくなっちゃった。なあ、オレがしてもいい?
今まで聞いてきたアルドの声の中で、いちばん甘くて、とろりと蕩けきった低い音に、ぞくり、と背筋が震える。たったそれだけで、体がふつふつと火照って、指先まで別のものになってしまったようだった。
このままではまずい、流されてしまう。ますます自分ばっかりが、アルドに夢中になってしまう。
けれど。
なあ、だめ?
胸に触れたまま、反対側の手で流れるようにセティーの手を取ると、ちゅ、と指先にキスをして、上目遣いで甘えるように一言。
「……っ、抱いてくれ!」
待ってくれ、とか、仕切り直させてくれ、とか言いたいことはいっぱいあった筈なのに。気づけばそれが口をついて飛び出してしまっていた。
だって仕方ない。こんなにかわいくてかっこよくて、やっぱりかわいいなんて反則だ。そんなもの、頷いてしまうしかないだろう。
セティーの答えに、アルドは嬉しそうに笑う。そのまま器用にバスローブを脱がすと、さわさわとセティーの胸を撫でながら、ちゅっちゅっとキスをあちこちに落としてゆく。
そんなアルドを見ながら、そうか、セックスってこうやるのか、なんてまだネジが外れたままの頭でぼんやりと考えたセティーはそのまま。
アルドの手から与えられる熱に流されて、溺れてしまうことにした。
翌朝。
すうすうと気持ち良さげに眠るアルドの隣、先に目を覚ましたセティーは、まだ赤みの引かぬ顔のまま「……セックスってすごい」としみじみと呟いた。