たいへんよくできる子です


何もかも初めてだとのアルドの言葉を疑っていた訳では無いが、それが僅かな偽りも挟まない真実なのだと実感したのは最初に口付けを交わした時。
力が入って強ばった唇に、軽くちょんと触れるだけでびくりと大きく体を震わせ、ばっと後ろに跳んで距離を取ったアルドの頬は見たこともないくらい真っ赤に染まっていて、ああ本当に初めてなんだな、と知らされていた事実がじわじわと脳に染み込んで広がってゆく。

初めてに特にこだわりはないつもりだった。他人にそれを要求出来るほど何も経験してきていない訳でもなく、そうして自分の事を鑑みれば年齢と共に重ねた経験が増えてゆくのはおかしなことでは無いとも理解出来る。時折見かける処女信仰には共感するどころか馬鹿馬鹿しいと眉を顰める事の方が多く、アルドにだってそれを求める気はさらさらなかった。
けれど。うわあ、うわあ、と赤い顔のまま何度も繰り返して、恐る恐るちょんと自身の唇に指で触れて、わああ、ますます頬を赤くするアルドの姿を見ていれば、あれほどくだらないと思っていた初めてにこだわるやつらの気持ちも少しだけ分かってしまう。
まっさらなアルド、何も知らないアルド。あんなにもいろんな人に愛され親しまれ信頼されているのに、その体を誰とも繋げたことのない、無垢な青年。
軽く唇が触れただけでこんなにも動揺を露わにする彼に、今から自分の形を教え込むのだと思うとぞくぞくとした興奮が腹の底から込み上げてくる。まるで処女地を拓くような、まっさらなキャンバスに筆を入れるような、新雪を踏み荒らすような。罪悪感に似た躊躇いと緊張、その向こうに見える征服欲を掴み取れば、心は甘い達成感で満たされる事は容易に想像がつく。
ああ、やつらの事も馬鹿に出来たもんじゃないな。
苦笑いでそれを認めたセティーは、まずは物慣れない恋人に己の唇の形を教えるべく、動揺の静まりきらない彼の腕を捕まえて抱き込んで、もう一度。ゆっくりと、口付けた。

最初は唇が触れただけで赤くなっていた恋人は、回数を重ねるごとに馴染んでゆく。強ばっていた唇はしっとりとセティーの唇の形をに沿うようになって、段階を経て咥内に差し込んだ舌に、動揺で噛み付く事もなくなっていった。息継ぎの仕方もろくに分からず、途中でセティーの背中をぱんぱんと叩いて限界を伝えていたのに、鼻で息をする事を覚え、合間に唇を甘く噛み合う最中にタイミングよく空気を取り入れるようにもなった。縮こまって戸惑っていた舌は、必死でセティーの舌の動きを追いかけるようになり、やがて自ら絡みついてくるようにもなった。
歯列をなぞる舌の動き、刺激すると気持ちのよい場所、絡めた唾を飲み下す方法、舌を吸う緩急の付け方。何もかも全て教えた通り、セティーのやり方に倣ったアルドのキスを受けるたび、それがセティーが教えた形のままだと実感するたび、ひどく高揚してたまらなかった。少し間が空いても忘れることなく、以前に教えたままの動きでちゅうちゅうと舌に吸い付くアルドを感じるたび、気持ちよさと興奮が二重になって膨れ上がってゆく。唇を重ねた回数分、アルドが自分の色に染まってゆく様を実感出来て、胸の内から仄暗い優越感が込み上げ、心の深い部分がじんわりと満たされる。

もしもいつか。考えたくなくとも、つい考えてしまう、万が一の先。もしもいつか、アルドがセティーではない誰かと唇を重ね合わせる事があったとしても。そのアルドの舌を動かすものは、何もかも全てがセティーで出来ている。器用に咥内を動き回るアルドの舌はきっと、セティーの存在を色濃く誰かに主張することだろう。それを思えば、存在するかも分からない誰かに向けて、ざまあみろ、せせら笑ってやりたい気持ちになった。

思い通り、望んだとおり、染まってゆくアルドを深い満足と共に恍惚として見つめていたセティー。
けれどそんなセティーにも一つだけ、計算違いがあった。
予想もしてなかった、想定外。
それは、セティーが思っていたよりずっと、アルドの学習能力が高すぎたことだ。


「せてぃー、も、きもち、よかった……?」

はふはふと小刻みに吐き出される息、赤く染まって濡れた半開きの唇、隙間からちろりと突き出された舌。とろりと蕩けた目、気持ちよさそうな顔でうっとりとこちらを見つめるアルドの顔を、セティーは呆然と見上げた。そう、見上げたのだ。
セティーの家、久しぶりの二人きりの時間に交わした視線に欲の色が灯るのは驚くほど早かった。ベッドルームまでの僅かな道のりさえ焦れったくって、廊下で性急に求め合い貪るように重ね合わせた唇。
言い訳をすれば、アルドとしばらくしていなかっただけでなく、自分でも抜いてはいなかったから溜まっていた。多少の疲れもあった。
それでも。中腰で壁に手をついたセティーは、下からアルドを見上げる格好のまま、愕然としていた。
下半身、下着の中は吐き出したばかりの精液でじっとりと湿っている。アルドとのキスがあまりに気持ちよすぎて、それだけで達してしまったのだ。文字通り腰が砕けそうなキスをされて、足にはちっとも力が入らない。どうにか崩れ落ちずにいるのは、最早ただの意地だった。
ちらり、視線を一度下に向ける。アルドの股間も傍目で分かるほど布を突き上げてぐっと盛り上がっていたが、それはつまりアルドも気持ちよくはなりはしているものの、イってはいないという事実を示している。
嘘だろ、叫びたい気持ちでセティーは再びアルドの顔を見つめる。自分だけイかされた衝撃はまだ抜けない。どこかには傷ついたプライド、事実を事実として認めたくない気持ちもある。
けれど、唇の隙間から覗いたままの舌、ぬるりと塗れた唾で光る赤い肉。それを見た途端、ついさっきまで咥内をたっぷりと舐められて与えられた快感がまざまざと蘇り、ずくり、腰が重くなって、濡れた下着の中、萎えたばかりの陰茎がむくりと頭をもたげる気配があった。

振り返ってみれば、兆候はあった。
たとえば、彼の幼馴染。頭を使うことは苦手だと言うアルドに、本気になれば自分以上の成績をたたき出すことが出来るはずだと呆れを滲ませて嘆いてみせるダルニス。定期的に彼らの間で交わされるそんなやり取りを、少しの嫉妬と共に見守るセティーは、ダルニスの言い分を全ては信じていなかった。セティーから見てもアルドは頭より体を使う方が向いているように思えたし、ダルニスの落ち着いた聡明さにも一目を置いている。だからダルニスのその、アルドはその気になれば自分よりも出来るやつなんだという旨の主張は、身内の贔屓目のようなものだと考えていた。
けれどもしかしてそれは欲目で曇ってなんておらず、時に幼馴染を素っ気ない言葉で叱咤することもあるダルニスが、非常に公正な目で見た上での判断だったとしたら。
たとえば、彼の言葉遣い。以前は王族相手だろうと気にすることなく誰に対するのとも同じように接していたらしいけれど、アナベルを筆頭としたミグランスの騎士たちを中心に不敬であると窘められて以降はある程度矯正されたと聞く。その際にはアナベル達直々に言葉遣い教え、さほども経たないうち、半月もかからずマスターしたとも聞いていた。
だから元々素地はあったものの使っていないだけだったのかと思っていたけれど、もしかして一から覚えてそのスピードだったのなら。
他にも未来でのアルドの振る舞い、初めて見た時は驚いていた物にもその後少しすればすっかりと慣れたように取り扱うし、他の異なる時代の仲間たちの中には未だエレベーターを怖がったり警戒する者もいることを思えば、アルドの適応力は万事において発揮されているようにも見えてくる。

頭を使うことが苦手なんじゃなくて、興味のないことにはやる気が出ないだけで、その気になればどんな分野でも一定レベル以上の学習能力を発揮するんじゃないだろうか。
セティーがアルドのそんな性質に気づいて、うっすらとした危機感のようなものを抱いた時にはもう既に、アルドはセティーのキスをすっかりと覚えてしまっていた。

もしもそれが、全く未知のものなら一体どこで覚えてきたんだと、アルドの向こうに知らない誰かの影を見て嫉妬を募らせたかもしれない。向こう側が気になって、キスに集中出来なかったかもしれない。
けれどアルドのキスは、どこまでもセティーが教えたことから大きく外れはしなかった。セティーの形をしっかりと基盤にして、そこに多少のアレンジを上乗せするだけ。
歯列をなぞる舌の動きはそのまま動かすスピードに緩急をつけてみたり、上顎をべろりと舐める舌先を細く尖らせたあとにふにゃりと力を抜き、面積の広くなった舌でもう一度同じように舐めてみたり。舌先の代わりに舌裏を使ったり、唾液を吸い上げる強さを変えてみたり。特にセティーがびくりと反応をしてみせた場所は、絶対に忘れない。嬉嬉としてそこばかりを執拗に舐ろうと舌を伸ばしてきて、セティーの舌がそれを阻もうとすれば甘えるようにちろちろと舌を擦り寄せ、それでもダメならねだるように唇を柔らかく食む。その、甘えるような仕草で触れられた場所が、そこはそこで阻みたい箇所とはまた別枠で気持ちよくなってしまって、快感を感じとるセンサーがなしくずしに増やされてゆく。阻んでもよくって、阻まなくても気持ちいい。進んでも引いてもだめ。唇を重ねるたび、アルドの唇がセティーの口の中を性感帯に作り替えてゆく。より敏感に、より深く。
全てセティーの教えたものを元にしながら、セティーの反応を柔軟に取り入れて進化してゆくアルドに、セティーの色しかついていないのが、セティーのことしか頭にないのが、依然として心を満たしてしまうせいで余計にタチが悪い。もしそこにセティーをやり込めてやろうという意地の悪い色が滲んでいれば、好きにさせてなるものかと対抗心を煽られてしまったかもしれないけれど、体の表面よりも深い場所、むき出しの粘膜で触れ合った場所からは、どこまでもセティーに気持ちよくなってほしいとの感情しか伝わってこない。真っ直ぐないじらしさを直接舌先に乗せて刷り込まれてしまえば、抵抗する気持ちすらも綺麗に溶かされていってしまう。
セティーだって、めきめきと上達してゆくアルドのキスにただ翻弄されるのを待つばかりではなかった。アルドが取り入れた動きをセティーも覚え、真似てカウンターを仕掛けることもある。けれどセティーが取り入れる以上に、あまりにアルドの学習速度が凄まじすぎて、追い切れないのが現状だ。

「なあ、セティー。もういっかい、したい」

セティーが己の現状に呆然として固まっている間に、呼吸を整えたらしいアルドが、腰を屈めて同じ高さ、視線を合わせてねだってくる。まだほんのりと目元は赤いまま、とろんと蕩けた目の中には期待だけを覗かせていていた。
答えないままじっとその目を見つめ返せば、歯痒そうに一瞬、むっと濡れた唇を尖らせて、けれど強引に唇を奪うことなく、ちゅ、ちゅ、とセティーの顔に短く口付け、その合間、なあセティー、お願い、低く掠れた懇願は、やけに甘ったるく触れられた頬に響く。
しかもただ、唇で触れるだけではない。触れた瞬間、ぺろりと舌で頬を舐めてみたり、唇でやんわりと頬をはんでふにふにと動かしてみたり、軽く歯を当ててみたり。それも全部セティーが教えたことで、降らされるキスの場所は的確にセティーが弱い部分を狙い打っている。眉間、目尻、頬骨、顎先。普通に触れる分には何の支障もなかったはずのそこに、濡れた唇を押し付けられてちゅうと吸われれば、寒気にも似た快感がぞわりと産毛を逆立たせてちりちりと首の裏が疼く。
ずるり、思わず壁についた手を滑らせて体勢を崩せば、すかさず腰を抱かれて支えられる。大丈夫か、耳に心配の滲む声を注ぎながらやわやわと耳たぶを食んで、耳の縁をべろりと舌でなぞる。腰に回った手は、しっかりと本来の目的を果たして重さを受け止めながらも、その指はつっと脇腹を撫で上げる。
確かにどれもセティーがアルドにしたことのある行為だったけれど、今、このタイミングでやられるのはまずい。きゅっと引き絞るような痛みと共に甘く疼く陰茎の付け根、さっき射精したばかりのくせにずんと睾丸が重みを増したような気がした。

「セティー……」

段々と余裕のなくなっていくアルドの声、さわさわと優しげな手つきで脇腹や背中を撫でていた手には、少しずつ力が入り始めている。懇願の言葉を吐き出す代わりに唇で肌を撫でられる時間が増えてゆき、眼差しだけで、もっとしたい、いっぱいしたい、おねがいセティー、じりじりと請われ求められる。

「……アルド」

名前を呼んだだけでぱあっと表情を明るくして瞳を輝かせ、甘えるように軽く唇を尖らせて顔を近づけてくるアルドの前にさっと手を差し込み口を塞いで制止をかければ、そんなあ、悲しげな声が聞こえてきそうな様子でしょんぼりと眉を下げる。
胸の内を全て隠すことなく表情に乗せるアルドの素直な欲求はかわいらしくて、心臓をさらりと直接くすぐられた心持ちになったセティーは、笑おうとした。
けれど開いた唇から漏れた息は、笑い声にしてはじっとりした熱を多分に含んでいて、アルドの唇を塞いだ自身の手の甲、跳ね返った吐息がむわりと口周りを湿らせる。そこに含まれた熱を肌でまざまざと感じたセティーの、思考がぐらりと揺れた。

揺れた思考の隙間、もしも、から始まる仮定の想像が、頭を過ぎる。
もしもこの、脅威的な学習スピードを見せるアルドに、抱かれてしまったなら。セティーのやり方を踏襲した上で、セティーの反応を見ながら、もっとセティーを気持ちよくしたい、分かりやすい欲求の元に貪欲にアレンジを加えて凄まじい速さで何もかもを飲み込んで自分のものにしてゆくアルドに、抱かれてしまったら。
最初は少しぎこちないかもしれない。緊張で強ばった手つきで恐る恐るセティーに触れて、教えたやり方ぴったりそのままに、セティーの体を拓いてゆくだろう。けれどそっくり踏襲するのは初めのうちだけ、すぐに慣れてあそこもここも、反応の良い場所を見つけては執拗に撫でて摩って抉って、セティーが快楽に染まった声をあげれば、嬉しそうに笑ってもっと気持ちよくしようと張り切ってゆく。器用に咥内を愛撫する舌と同じよう、セティーの性感帯を一つ一つ見つけては、丁寧に刺激を加えて育て上げてしまうだろう。それは想像よりもよほど現実に近い、仮にそうなってしまえば限りなく確定している未来の姿だ。
教えこんだセティーの形をそのまま覚えこんだアルドに抱かれて、セティーもまたアルドの形になってしまったら。抱いて、抱かれて、元がどちらの形だったかも分からないくらい、揃って同じ形を覚えこんでしまったら。

ごくり、飲み込んだ唾はひりひりと渇く喉をまるで潤してはくれない。一度想像してしまった仮定は、瞬きで消え去ってはくれない。
そうして想像に気を取られているセティーに、アルドは気づいたらしい。少し不満そうに目を眇めてセティーを見つめると、べろり、唇を塞いだ手のひらを舌で舐める。突然の刺激に、びくん、セティーが大袈裟に反応してしまえば、アルドは嬉しげに目だけで笑って、指の付け根を親指から順番に、ぺろぺろと丹念に舐め始める。合間にちろりと上目遣いでセティーを見つめる瞳は、ぎらぎらと欲の宿る熱っぽい色と、お預けが解除される瞬間を今か今かと待ちわびる従順な期待、両方を器用に同居させて無邪気にきらきらと煌めいてる。

ごくん、ごくん。数度続けて飲み込んだ唾は、ようやくひりついた喉を少しだけ湿らせてくれる。軽く咳払いをしてから口を開いたセティーは、一層輝きが増したアルドと瞳を見つめながら、ゆっくりと囁いた。

「なあ、アルド。今日は、お前が、俺を――」

全く、抵抗がないとは言わない。つい先程してやられた分も含めて、今度はセティーがアルドをぐずぐずにしてやりたい気持ちもあった。
けれど。思いついたばかりの想像の先にあるものにまるで焦がれるよう、舌に乗せた言葉は、未知の快楽への隠しきれない期待で、微かに上擦って震えていた。