タチの悪い男
「はぅ、んっ、んあ、ふああっ! やっ、あっ、あ、ひあああああ!」
ひっきりなしに響くのは、鼻にかかったようなくぐもった声。所々ひび割れて掠れているのにけして途切れることのないそれは、次から次へと溢れだして閉じた部屋の隅々までなみなみと埋め尽くしてゆく。
媚びるように甘ったるく上擦ったその音の発生源は、分かっていた。
だらしなく開きっぱなしの唇の隙間から。
その唇の持ち主は他の誰でもない、己自身だと知っている。
けれどどこかで、まさかそれが自分の作り出したものと未だ信じきれなくて、セヴェンは抗うように弱々しく首を振った。
(なんで、どうして。こんなの、おかしい……!)
自慰はそれなりにしてきた。アルドと身体を繋げたのも一度や二度ではなくて、何もかも全く経験がない訳じゃない。
だけど、こんなのは知らない。
最中には気持ちよくってつい、ひっくり返った短い声をあげてしまう事はあったけれど、でも。
こんな風に絶えず喘ぎつづけるなんて、一度もした事がない。
そういうものは、全て虚構だと思っていた。
バーチャルで繋がった画面の向こう、興味本位で視聴した裸の女が胸を晒して腰を振っていた映像。そこでは確かに、何をしても何をされても女の口からは甘い喘ぎ声が漏れ続けていたけれど、それは作り物の世界をわざとらしく彩る演技だと決めつけて端から信じちゃあいなかったのに。
今、セヴェンの口から漏れ出ているものは、記憶にある作り物よりよほど大袈裟で安っぽくて仰々しい。
あんなもの、こんなもの、作り物、嘘、本当じゃない、違う、違う、違う。
真っ赤に塗りつぶされた快感の隅、残った理性で何度も呟いて自分に言い聞かせ、耳障りな嬌声を止めようと思うのにうまくはいかなかった。無理に口を閉じようとしても力が入らなくて、目の前、シーツに顔を埋めて遮断しようとしても、くぅんと鼻から抜ける甘えた響きが治まってはくれない。
「やあ、やっ、もう、も、らめ、らめぇ……!」
ろくに回らなくなった舌が忌々しくって、舌打ちをしようとしても弾くことすら出来なかった。もぞもぞと動かした口の中、縺れた舌を宥めようと外に追い出して、はっはっと短く息を吐き出した瞬間。じゅううう、っと濡れた音が響いて、少し遅れて背筋を突き抜けた甘い痺れに、がくがくと腰が震えた。
もうだめだ、やめてくれ、呟いたつもりの言葉は全て、濡れたシーツに吸い込まれ、音になる前に崩れて消えてしまう。
うつ伏せ、突き出した尻の向こう。姿の見えないアルドがそこでくすりと笑った気配がして、また。
じゅぷん、いやらしい音を立ててぐずぐずに解れた穴に熱い舌が差し込まれる。
最初はただ、漠然と気持ちがいいだけだった。
少しずつ触れ合う頻度が増えてきて、徐々にお互いの体温にも慣れ始めてはいた。触れて、抱き合って、繋がって、友達とは違う恋人同士の手順。慣れたというにはまだ十分ではなくとも、最初から最後までぎこちないながら、一応はこなせるようになったタイミングで。
言い出したのは、アルドの方から。
最初から何もかも、抱き合うための前準備を全てしてみたいとのアルドの言葉にセヴェンは、かなり渋りはしたもののある程度の希望は受け入れた。
中を綺麗に洗う作業は絶対にさせたくないと断固として断ったけけれど、それ以外の部分。いつもは洗浄と一緒に指で解して中にローションを仕込みすぐにでも繋がれるようにしていた、その作業を丸々。アルドに託してしまうことになってしまった。
大きめのタオルを敷いたベッドの上、セヴェンだけ裸になって四つん這い。装飾品の類は外してラフな格好になっていたとはいえ服を着たままのアルドの眼前に、剥き出しの尻を突き出す格好になったのは恥ずかしくてたまらなかったし、そっと両手で押し広げられた尻たぶの間、ローションをまぶした指の代わりにぬめった舌先を押し付けられた時にはさすがに抵抗もした。いくらいつもより入念に洗ったとはいえ、そこを舐められるなんて思ってもいなかったから。
けれど渋ってもみせても珍しくなかなか諦めてはくれなかったアルドに、先に折れたのはセヴェンの方だった。
元々セヴェンはアルドに頼まれると弱い。それも誰かのためでなくごくごく個人的な、アルド自身の希望を口にされてしまえば、大抵の事なら内容をよくよく確かめもせずに即座に頷いてしまう自信がある。
それに、もしも本気で抵抗すればアルドのこと。けして無理強いはけしてしなかっただろう。アルドが珍しく粘った時点で既に、半分くらい受け入れている自分を見透かされている自覚はあった。
ひたんと濡れた舌先が窄まりに触れた時は思わず「ひあっ!」と引っくりがえった声が飛び出してしまったし、ぺろぺろと閉じた穴の周りを這い回る熱がくすぐったくて、思わず尻をもぞもぞと動かしてしまった。最初からすぐに気持ち良くなった訳じゃなくて、しばらくは違和感の方が強くて落ち着かなかった。
けれど丹念に舌先で窄んだ皺の一つ一つを伸ばすように、たっぷりと舐められてゆくうち、シーツに跳ねた吐息が熱く湿っていったのも事実だ。
それでも、そこまでは許容範囲の内。
想定の範疇からは少しはみ出たくらいだった。
恥ずかしかったけれど、だんだんと気持ちよくなっていった。
気持ちよかったけれど、ただそれだけだった。
気恥ずかしさにも慣れて気持ちいいと素直に受け入れてしまえば、柔らかな刺激にひたひたと身体を預けるのが心地よいだけだった。
異変が生じたのは、焦れったくなるほど長い時間をかけて縁を舐られて、やっと舌先がくぷんと中に入り込んでから。
指よりも柔らかいのに太くて、熱く湿ったそれが少しずつ中に入ってきて、皮膚よりもざらりとした表面で閉じた中をぐるりと満遍なく舐められた瞬間。慣れ始めた緩やかな快感とは違う、ぞわりとした震えがぴしぴしと背中をつついて、割れて弾け飛びそうになる。
いつもなら気持ちよくなるうち、だんだんと陰茎が熱くなってゆくが常だったのに、未知の疼きはまるで身体の真ん中、腹の奥底、胸の内。もっともっと深い部分に火を灯すかのように、じわじわと内側からせり上がってくる。
決定的にまずいと思ったのは、ぐっぐっと奥へ奥へと入り込んできた舌と一緒に入り込んできた指先が、つつかれると特に弱い小さな凝りにちょんと触れた時。
自身の指で撫でるより、挿入ってきたアルドのそれでごしごしと擦られるより、よほど弱い刺激だった筈なのに。自在に動く熱く湿った筋肉でべろんと内側を舐められながらそこを刺激された途端、まるでつるんと押し出されるように呆気なく果てたセヴェンは、それでもちっとも引かないどころかますます燻りうねりを帯びてゆく熱にようやく、随分と遅れて混乱を始めた。
セヴェンが一度達したのは気づいていた筈なのに、それでもアルドは止まらなかった。
何度か確認するように凝りを指先でやわやわと撫でてから、舌は差し込んだまま指だけをつぷんとひきぬくと、まるで猛った切先の代わりのように、尖らせた舌をちゅぷんちゅぷんと出し入れし始める。一度引き抜いたら丁寧に縁を舐めて、内側から肉を味わうようにべろりと舌をくっつけて、みちみちと奥に侵入してゆく。まだ指の感覚が残っている凝りの手前、舌先はギリギリ届いてない筈なのに、まるでそこ触れているかのような動きでつんつんと内壁をつつかれれば、柔く押し上げられた肉が微かに凝りを震わせた気がして、ぴくぴくと震えた内側がぎゅっと熱い舌を締め付ける。
それを一度でなく、何度も何度も繰り返し。指を差し入れて優しくすりすりと凝りを撫で潰して、その軌跡を追うように舌でなぞって追い上げてゆく。ちゅぷちゅぷと遊ぶように小刻みに舌先を出入りさせながら、じわじわと送り込んだ唾液を奥へ奥へと刷り込むように、壁にざらついた表面を擦り付けながら進んでゆく。
たっぷりと注がれた唾液が徐々にひくつく内側を湿らせてゆくのが感覚としてありありと伝わってきて、混乱のままセヴェンは気づけばシーツをかたく握りしめていた。次第にじゅぶじゅぶと大きくなってゆく水音に、身体の内だけでなく耳から脳までも犯されていくような心地になってゆく。
何が起こっているのか、ちっとも分からなかった。
それが何なのか分からないから怖くて、何もかも熱くてたまらなくて、どうして熱いのかやっぱり分からなくて、混乱はますます深まってゆくばかり。
しかし未知の感覚に理解の追いつかない思考とは裏腹に、身体はとても分かりやすく反応をみせていた。
いつの間に再び果てたのか、気づけば下半身は自身の出したもの、それも一度達しただけとは思えない量でべったりと濡れている。それなのにまだ痛いくらいに張りつめた先端からは、ぽたぽたと薄い液体が漏れていた。
果てのない快感から逃げるやうにぐりぐりと顔を押し付けていたシーツは、いつしかどこもかしこもぐっしょりと冷たく濡れていて、冷たさを自覚すると同時に閉じきらない口の端から垂れた唾が更に布の湿りを増してゆく。触れた舌先に広がった塩の味で初めて、口からだけでなく目からも雫が溢れている事を知った。
そうして、時間の感覚も分からなくなるほどの長い長い甘い責苦の後。ようやくセヴェンの思考が現状に追いついた時。
身体のどこもかしこもを内側から焙って、擽って、突き上げるような未知の感覚がおそらくは、ある種の快感であると理解した時。
いつもの気持ちよさとは違う、果てれば散ってしまう類のものとは全く別の、長くじわじわと身体を苛む熱だと気づいた時には既に。
ひっきりなしに漏れる嬌声は己の意思では止められなくなっていて、少し舌でぐにぐにと蕩けた肉を揉み込むように舐められるだけで、びくんと身体が跳ねてぼたぼたと涙が零れるようになってしまっていた。
もうとっくにそこは柔らかく解れている筈なのに、アルドは依然として差し込む舌の動きを止めようとはしてくれない。むしろより大胆に、強弱をつけてたっぷりと舐り、時にわざとらしく音を立てて吸い付いてくる。
見なくても分かるくらい、ぽってりと腫れてじんじんと熱を訴える、入口に仕立て上げられてしまった穴の縁。
舌でべろんと捲りあげた肉を食んだ唇の間できつく吸われてセヴェンは、嬌声すら追いつかぬまま声なき悲鳴をあげて思い切り背中を仰け反らせた。
すぐに吸い付く力は弱くなって、まるで宥めるようにぺろりぺろりと吸われた場所を舐められたけれど、背中のしなりが落ち着いた頃合を見計らってまた、少しずれた縁の肉をぎゅううと吸われてしまう。
これを繰り返されれば、もしかして広がったまま戻らなくなってしまうんじゃないだろうか。きつい吸引のたびに内側の肉諸共アルドの口の中に飲み込まれて舐られる感覚に、その度ぴくぴくと律義に跳ねてしまう身体とは裏腹に、心にじわりと恐怖が忍び寄ってきた。そこにいるのはアルドだと分かっていても、姿が見えない事も手伝って余計に不安が煽られてゆく。
「あ、あうおっ、あ、うぅっ、おぉ……っ!」
既に舌先を上顎に引っ掛ける余力すら残ってはいなくて、必死にその名を紡ごうとしてもうまく形にはなってくれない。失敗した音の破片はばらばらで元の名残も薄いのに、それでも一応アルドには伝わったらしい。
じゅうぅ、と名残惜しそうに最後にもう一度きつく吸い付いてからようやく、柔らかな熱が離れる気配があった。それを訝しがる間もなく「どうした、セヴェン」と優しげな声で囁いて、うつ伏せたセヴェンの腹に手を差し入れてくるんとひっくり返す。
その姿を見てほっとしたのは、たった一瞬。
だって視界に飛び込んできたアルドは、多少口周りをてらりと光らせてはいたけれど、未だ服も乱れないままだったから。
対する自分は、閉じきらない唇の端からぼたりぼたりと涎を流していて、腹をべったりと濡らして声にもならない情けない音を漏らしている。
すぐに安堵を上回る羞恥に襲われたセヴェンは、腕で顔を隠そうとしたけれどうまく力が入らない。仕方なく代わりに、ぎゅっと目を瞑って見つめるアルドの瞳から逃げようとした。
かわいいな、と。
おそらくはセヴェンにすら聞かせるつもりのなさそうな、アルドの小さな小さな呟きがぽつりと腹の上に落ちたのは、ちょうど光を視界から追い出したタイミングで。
(嘘だ、そんな訳ない)
おぼつかない身体とは裏腹に、やけに鋭敏になっている五感でそれを拾い上げたセヴェンは、反射的に胸の中でアルドの言葉を否定する。
鏡で見た訳じゃないけれど、どこもかしこも冷たく濡れた顔は涙と涎でべたべたになっている筈だし、それだけじゃない。溢れた涙は外に流れ出るだけじゃなく内からも流れて、鼻の中を通って粘り気のない鼻水になって垂れ流されていた。
どう考えたってかわいいとは正反対の、間抜けでみっともない顔を晒しているとしか思えないのに。
閉じたばかりの瞼を恐る恐る持ち上げたセヴェンは、一体アルドがどんな顔をしてそれを言ったのか、確認しようとした。
もしもその表情に一欠片でもからかいの色が混じっていたら、だるくて重くて動かない腕をどうにか気力で動かしてして、近くの枕を引っ掴んで投げてやったことだろう。一人だけ散々イかされてあられもない姿を晒した羞恥が限界を超えて、ふつふつとした怒りに転化しかけていた。
けれど、開けた視界の先。
セヴェンを見つめるアルドの瞳にぶつかったら、喉元まで出かかっていた文句も何もかも綺麗に引っ込んでしまう。
「気持ちよかったか? いっぱいイッたな」
からかうなんてとんでもない。いっそ、そうであった方がまだましだった。
うっとりと目を細めて、慈愛に満ちた眼差しで。
大事なものに触れるようにぬめったセヴェンの腹を優しく撫でて、もう片方の手で垂れた唾液を指で掬いとり自身の口元に持ってゆき、ちゅうっと吸って嬉しげに笑う。
アルドの顔色はとても読み取りやすい。付き合う前からしょっちゅうその姿を目で追っていたセヴェンには特に、微笑みの形でアルドが何を考えているかおおよそのことは分かる。
だからこそ、分かってしまった。
呂律が回らなくなるくらい追い詰められたセヴェンをみて、嘲ったりからかう気持ちなんて毛の先程も抱いてはいない。それどころかきっと、精を吐き出しても尚止まらない快感の波に煽られるのは、とんでもなく気持ちがいいと同時にひどく苦しいことにも気づいていないのだろう。人の気持ちに聡いようにみえてたまに、ものすごく鈍い。アルドにはそういう所がある。
今のアルドはおそらくセヴェンの反応を全て快感を享受した結果だと受け止めていて、「セヴェンがいっぱい気持ち良くなって良かったなあ」だなんて呑気な事しか考えていない。絶対にだ。むしろ存分にセヴェンを気持ち良くした事へのある種の達成感すら覚えている気がする。
あまりにも善意しか滲んでいない柔らかな笑みに真正面から当てられたセヴェンは、くらくらと目眩がしそうになった。
(タチ、悪ぃ……!)
悪気がちっともないことも、意図してセヴェンを追い詰めたのではないことも、何もかも。悪意がなさすぎて逆にタチが悪い。
そして、それらを差し置いて尚、一等タチが悪いのは。
甘さをどろりと煮詰めたような瞳、口に出さずとも好きだと言われているような眼差し。
隠すことなくあけすけに向けられた剥き出しの愛情。
そんな視線に身体をやさしく撫でられてしまえばそれだけで、思いきり煽られてしまう。触れられてすらいないのに腹の筋肉がきゅううと痛いくらいに引き攣れてしまう。たったそれだけの刺激で内側の肉がじんと痺れ、また深い疼きが身体の芯から生まれてゆく。もう出すものなんて残っていないのに、びくびくと腰が震えて何も吐き出さぬままに達してしまう。
ぎりぎりまで追い詰められた体にそれは、致命的だった。
腹の底から湧き出す鈍くて甘い疼きは止まらぬまま、急速に意識が遠のいてゆく。ひくんひくんと指先まで小刻みに引き攣らせたまま、真っ暗な淵に飲み込まれてゆく。
意識が途切れる最後、視界に飛び込んできたアルドは。
ようやくセヴェンの限界に気づいたのか、驚いたように丸く目を見開いて、思わずといった様子でこちらへと手を伸ばしていた。
その姿にやっと一矢報いたような心持ちになってセヴェンは。
唇の端も持ち上がらぬまま、ふっと吐き出した息の音だけで小さく笑って、一気に意識を手放した。
そうして、数時間後。
「ちょっとやりすぎた、かな?」
「ちょっとどころの話じゃねえよ!」
ベッドの上、ぽりぽりと頬を掻いて気まずげに目を伏せるアルド相手に、ジト目を向けて抗議をするセヴェンの姿があった。