契約内容はよく確認しましょう


「アルドに観て欲しいものがあるんだ」

何かが、おかしい。
目の前、唇が触れそうな程に近づいたセティーが、にっこりと笑うのを見てしまったアルドは、反射的に身構えた。
実際、数秒前まではちゅっちゅと唇を合わせていて、ぬらりと光るセティーの唇を湿らせているのは、きっとアルドが途中でぺろぺろと舐めたせいだ。
ベッドの上で服を脱がせ合いながら、キスをしてじゃれあってくすくすとどちらともなく笑って、正しく恋人同士の触れ合いの時間だったはずなのに。二人とも身につけていたものを全て脱ぎ捨てて、さあたっぷりと抱き合おうとしていたはずだったのに。
今、目の前のセティーが浮かべる笑みは、そんな柔らかで甘やかで色気を含んだものとは明らかに違っている。
笑顔の形を作ってはいるのに目の奥はちっとも笑っていなくって、弧を描く唇の形は笑みに似ているのに、どうしてか酷薄な色が口の端に滲んでいるようにしか見えない。
おかしい、だってついさっきまで、とてもいい雰囲気だった筈なのに。怒らせるようなことをした覚えは一つもなくて、アルドだって恋人に触れられるのが嬉しくって、唇を重ねるたび、鼻を擦りつけるたび、頬をくっつけるたび、ふわふわと幸せな気持ちが募っていって体だってじわじわと熱を持ち始めていて、すっかりとやる気になっていたのに。

なんの前触れもなく豹変したとしか思えない恋人の態度にアルドが戸惑っていれば、セティーはにこにこと不自然な笑顔を顔に貼り付けたまま、いくつも積んだクッションに背を預ける形で座ると、ぽんぽん、と足の間を叩いてアルドにもそこに座るように促す。
セティーがそんな顔をしてる理由が依然として見つけられないアルドは、どうしようかと少し躊躇ってから、おずおずと指示に従った。ぴりぴりと首筋に走る悪寒は街の外で特に強い魔物に出くわした時のものと似ていて、本能は逃げろと囁いていたけれど、明らかに様子のおかしいセティーを放り出して逃げる気にもなれない。
向き合う格好でセティーの前に座れば、腕を取られてくるりとひっくり返されて、セティーにもたれかかる格好で足の間に座らされた。顔が見えなくなった分、いよいよセティーが何を考えているか分からなくって、漠然とした不安がそわそわと胸元から這い上がり、喉の奥に冷たくて重い塊を作った。

すると。
セティーの腕が何かの機械のようなを掴み、部屋の壁に向けて差し出すと、ピ、と音がして、真っ白な壁一面に何かが映った。

「……え?」

何だろう、何が始まるんだろう、どきどきと落ち着かない気持ちで見守った映像には、今アルドがいるのと同じ、セティーの部屋が映っているように見える。
そして。

『あっ、も、むり……はっ、あ、イく、イく、だめ、オレ、イっちゃう、セティー……!』
『いいぞ、俺も、いく……っ』

真ん中に映る、今、アルドたちがいるのと同じベッド上で。絡み合う二人の裸の男がそこにはあった。
一人がセティーだというのは、すぐに分かった。映る姿形も、どこかから聞こえてくる声も、アルドのよく知るセティーのものと同じだったから。
けれどもう一人が、すぐには分からなかった。
多分、アルドだと思う。けれど、いまいち自信が持てない。
だってアルドの時代では鏡はどこの家庭にもあるものじゃなくって、自分の姿形をきちんと見る機会なんてあまりなかった。ガラスや水面、剣に写った自身を見て、大体自分がどんなものかは把握していたけれど、いざこれが自分だと突きつけられれば、本当にそうなのか咄嗟に判断がつかない。
それに、声だって。アルドが認識している自分の声とはまるで違ったから、壁に広がるそれは自分のようで、全然違うもののようにも思えてしまう。

「せ、セティーこれは、一体……? あれって、え? えっと、お、オレ、なのか……?」
「アルド以外にいないだろう。……俺が他のやつを抱いているとでも?」
「そ、そんなことは思ってないけど……」

思わずセティーに尋ねれば、腹に回った手の締め付けがきつくなり、耳に吹き込まれる声が低くなったから、慌ててぶんぶんと首を横に振った。
けれど改めてセティーの口からもあれがアルドだと言われれば、今度はさっきまでとは違う落ち着かなさが湧き上がってきた。

『や、や、もっと、もっとぉ……おく、おくっ、ごりごりって、ちゃんと、突いて……んっ、ぐぅ、……っ!』

壁に映るアルドは、ベッドの上に四つん這いになって、後ろからがつがつとセティーに突かれている。その状況を第三者の立場で見せられるだけでも居心地が悪くて決まりが悪いのに、一番大きく映っているのはアルドの顔なのがいけない。
水面やガラスで見たことのある自分の顔とは、まるで違う。半開きの目は視点が定まらずどこか虚ろなのに気持ち良さげに蕩けきっていて、半開きの口からはだらだらと唾が零れている。頬だけじゃなくどこもかしこも赤く染まって火照っていて、目尻にはうっすらと涙の跡すらみえた。そのくせ、セティーが腰を進めてぱんと皮膚がぶつかる音がするたび、作り損ねた笑みのような恍惚とした表情を浮かべ、もっともっと、ねだる言葉とともに腰をくねらせて後ろに向けて突き出している。

確かに、セティーと抱き合うのは気持ちがよくって、いつも夢中になってしまって、最中は頭が茹だって何も考えられなくなって、事後にはすごく良かったという事くらいしか覚えてないけれど。まさかこんな顔で、こんな風に強請っているなんて思ってもいなくって、それが自分だとの認識が深まるにつれて羞恥がかっかと臓腑を焼いてゆく。

「ほらよく見ろ。アルド、お前、いつもあんなやらしい顔して抱かれてるんだぞ」

とても直視していられなくて目を背けようとすれば、後ろから伸びたセティーの手でがつりと顎を固定されて、強引に前を向かされる。
そして言い聞かせるようにゆっくりと囁かれる声に、かあっと頬が熱くなった。

「そんなっ、違うっ」
「違わない」
「ぃぎ……っ!」

反射的に否定の言葉を吐き出せば、すぐさまばっさりと切り捨てられ、ぎゅっと強めに乳首を捻りあげられる。痛みに悲鳴を上げればすぐに指の力は緩み、さわさわと撫でられたけれど、突き刺す言葉の刃は止まらなかった。

「向こうのアルド、ここも、ほら、真っ赤になってる。こうやって撫でてやると、気持ちよくなってぷくって膨れるんだよな」
「うあっ、やめ……」
『あっ、やめ……っ』

触れられた胸の真ん中からじわじわと広がりゆく甘い感覚に浸されながら、口にした抵抗の言葉がたまたま、壁に映るアルドから発せられた言葉と重なって、ますます頬に集まった熱が上がってゆく。
くすくすと耳元で笑うセティーの声がひどく意地の悪いものに聞こえて、頭に上った血がつんと目の奥を刺激して、悔しくて情けなくって、腹が立つよりも悲しくなってきてしまう。

「なんで、こんな……」

だから、つい、ぽろりと零れたそれは、セティーを責めるためのものでなく、どちらかといえば自責に近いものだった。恥ずかしさでいっぱいになっても、セティーへの怒りが湧いてこないのは、それほどセティーが怒りを感じるような何かがあったのだろうと思えてならなくて、なのに肝心のそれが何なのかがさっぱりと分からないことが、情けなくて悲しくてたまらない。

アルドの呟きに、胸を弄るセティーの指の動きが止まる。
そして長々とため息を吐き出してから、地を這うような低い声でそれを口にする。

「『ハメ撮りしたい』って俺が言ったら、『よく分かんないけど、セティーがしたいならいいよ』って言ったのはアルドだろ?」
「えっ? あ、そう、いえば……?」

セティーの言った内容に、心当たりはあった。確か以前二人きりで話をしていた時に、唐突にそんな事を言われた記憶がある。「はめどり?」とアルドが聞き返してもセティーは具体的な内容は教えてくれず、とにかくそれをアルドとしたい、どうしてもしたい、と頼んできたから、セティーがそんなに言うならばとよく分からないままに頷いてしまった。
セティーが頼んできたのに、それにアルドが頷いたことが気に入らないらしい。

「よく中身の分からないものには簡単に頷くなって、いつも言ってるのにな」
「だ、だって、うわっ」
「考え無しにほいほい頷くから、あんな顔まで撮られるんだぞ」

さすがにアルドにだって言い返したいことはあった。そりゃあ、セティー以外の仲間からもよく「何でも安請け合いするな」だとか「簡単に怪しいやつの頼みを引き受けるな」だとか、忠告めいた事を言われることはあって、アルドだって一応、気をつけようとは思っている。
それでもやっぱり、困った人がいれば見捨ててはおけないし、特に仲間から頼まれた事だったら、事情が分からなくったって一も二もなく引き受けるだろう。それについては、どうしたって譲れない。仲間たちがアルドを騙すような真似をする筈がないと信じているし、もしも仮に騙されたとしたって、何か事情があるんだろうと思う。
それはセティーについてだって、同じ。よく分からないものでも、セティーが差し出すものだから疑うことなく受け取って受け入れただけなのに。

『ヴーっ、あ、あ、ひうぅ、……あ、あ、あ゛ーっ! あ゛ーっ!』

けれどアルドが口にしかけた反論は、向こう側のアルドの絶叫に近い悲鳴によって遮られてしまう。
声だけ聞けば苦しげですらあるのに、うっとりと表情は蕩けきっていて、開いた唇からは舌がはみ出していて、剥き出した肩まで真っ赤に染め上げて、全身をひくひくと痙攣させているそれは、快感の恍惚にどっぷりと浸り切っていた。
ゆさゆさと向こう側のセティーが体を揺らしてももう、きちんと意味のある言葉はその口から出ては来ず、短い呻き声が漏れでるだけなのに、音だけで気持ちよくてたまらないのだと分かるそれを、こちら側のアルドはごくりと唾を飲んで凝視した。

だって、まずい。
自分があんな風になってるなんて信じられなくって、だけどどこかでああなった時の記憶があって、あそこまで追い上げられてしまったら何も考えられなくなって、ただただ気持ちがよくてたまらないのだと知っていて、見ているだけでまるで伝染したかのように、破片が指先から体の奥に侵入してきそうだ。

「せ、セティー、あれやだ、止めてくれ、やめっ」
「だめだ、ちゃんと見ろ。軽率に頷いた結果だ」
「うわっ、ほんとにだめだって、やっ、そこ、だめだって……!」

このままだと見ているだけでおかしくなってしまいそうで、必死でセティーに言い募ったけど聞いては貰えない。それどころか、再び胸を弄り始め、ぐいぐいと腰を押し付けて既に勃起した陰茎ですりすりと尻の間を擦り始める。
いつもなら、最初は少しくすぐったくて気持ちよくなるまでは時間がかかるのに、向こう側の自分たちに影響されたか、すぐに体が反応して息が上がり始める。生まれる甘さに抗いきれず、力を抜いてセティーに体を預けてしまう。

くすり。耳元で響いたセティーの笑い声には、未だ意地の悪い色が滲んでいるように思えたけれど。
分かっていてアルドは、その腕から逃れる選択肢を放り投げる。
気持ちよさに流された訳じゃない。だってセティーは、分かっているようで分かっていないから。
ハメ撮りとやらの内容を事前に知らされていても、やっぱりアルドはセティーがしたいならいいよと頷いただろう。
心配をかけるのは心苦しいけれど、手を伸ばすのはやめられない。仲間ならなおのことで、仲間としても、恋人としても、セティーの差し出すものは何でも呑み込んでやろうと思っている。
恥ずかしさで強ばっていた心の中を覗けば、与えられる快感を拒絶する理由が何一つ見つからなかったから、アルドは全てを委ねてしまうことにした。

そうして。
いつもよりも煽られた状態で始まった交わりは、アルドが最終的に映像の中の自身と同じ格好、同じタイミングでイかされた挙句、呪詛のように執念深くセティーに耳に吹き込まれた「なんでもやすうけあいしない」と言葉を、呂律の回らなくなった舌でその意味も分からぬまま、何度も何度も復唱させられるまで、延々と続けられたのだった。


が、しかし。
たたでさえベッドの上での約束は、当てになんてならないのは世の常識。
体の芯まで深く根付いているアルド生来の気質が、それで変わるなんて事がある訳もなく、更にはアルド自身ある意味では自覚して受け入れてるのだと開き直っている部分もあるとなれば、ますます変わる筈がなく。

「アルド、今度シェービングさせてくれないか」
「しぇいびんぐ? よく分かんないけど、セティーがしたいならいいよ」
(だめだこいつ全然分かってないなよしやろう)

以降、度々アルドにトラップを仕掛けては回収するセティーの姿が見られるようになった。