大人たちの秘密
その日、ダルニスとアルドは、普段は近づかないヌアル平原の奥の方まで足を踏み入れていた。村人に頼まれた薬草が、いつも見つかる場所から根こそぎ毟られていたせいだ。
村人たちなら、そんな風にはしない。採取する時は必ず生えているうち半分は残すようにするし、根から掘り起こしたりもせず必要な分だけ葉をちぎって持ってゆく。だからおそらくは、余所者の仕業だろう。
村に帰ったら報告しておかなきゃな、と胸に留めて、ダルニスはアルドを促し奥に進む。
まだ昼前、ゴブリンたちが活発に動き出す時間には早い。彼らが巣穴から出てくる前にさっさと用事を済ませてしまおうと、足早に平原を歩いた。
その道行きの途中。くいくいとアルドに服の裾を引っ張られたダルニスは、足を止める。
「ねえダルニス、あっちから声がする」
そう言ってアルドが指さした方を見たダルニスは、目を丸くする。
だってそちらは、子供は近づいてはいけないと村の大人たちに言い含められている場所だったから。
理由は分からないけれど、そういう場所がヌアル平原と月影の森のあちこちに存在している。
おそらく、危険な場所ではない。その場所についての忠告を口にする時の大人たちは、少し気まずそうな顔をしているか、にやにやと楽しそうな顔をしている事が多いから。
ダメだ、と言われると気になってしまうのはきっと仕方がない事で、以前にアルドと二人でこっそりと行ってみたことはあるけれど、別段変わった所はなかったように思う。
どうして近づいたらダメなのか、何度か尋ねて見たことはあるけれど、大人になったら分かる、とはぐらかされるばかり。
その答えがもしかして、今なら分かるかもしれない。
既に好奇心で目をきらきら輝かせながら、声の方に走り出しかけたアルドを制止して、ダルニスは少し考え込む。
この先に誰かがいるのは確実で、だけど子供が近づいてはいけないと言われている以上、見つかってしまえば怒られてしまうかもしれない。ダルニスはつい先日声変わりが始まったばかりで、まだ大人の仲間入りは当分先だし、アルドに至ってはまだ幼い高い声のままで、どちらももう大人だと言い張るのは難しい。少なくとも村の大人達は認めてくれないだろう。
だから見つからないようこっそり行こう、と視線だけで合図すれば、すぐに心得たようににやりと笑ったアルドは、草を踏みしめる音すらたてないよう、そうっと忍び足で歩き始める。
そろり、そろり、息をつめて気配を殺し、声に近づいてゆけば、燻された草の匂いがふわんと辺りに漂い始める。魔物避けの香の匂いだ、と気づいたダルニスは、いよいよ村の大人達の秘密に近づいた気がして、どきどきと期待に胸を高鳴らせる。それはアルドも同じだったようで、ちらちらとダルニスに視線を寄越しては楽しそうに笑い、興奮で頬を赤く染めていた。
やがて視線の先、人影が見えたからダルニスは手の動作でアルドにしゃがむように指示する。自身も同じように屈んで、草むらに身を隠しながら四つん這いで慎重に進んでゆく。
そうして茂った草が途切れる手前、ぴたりと動きを止めて窺った先には、二人の男女の姿。どちらもバルオキーの住人で、よくよく見知った顔だった。
一体何をしているんだろう、目を凝らしたダルニスは、ぎくりと身を強ばらせた。
抱き合ってちょんちょんと唇を重ねていた二人の手のひらは、よく見ればお互いの服の中をまさぐりあっている。男の手は女の服の下、ちょうど胸の辺りをさわさわと這い回っていて、女の手のひらは男の背中を撫で付けていた。村の悪ガキたちが女の人のスカートをめくったり、胸を触ればゲンコツが落とされてそんな事をしたらダメだと怒られるのに、目の前の二人は怒る素振りもなく、身を捩らせながらダメな筈のそれをお互いにしている。
見てはいけないものを見ている気がして、すぐにこの場を離れなければいけないと直感的に思うのに、体が動かなくって、ごくり、飲み込んだ唾が胃に落ちる感触が、やけに生々しく尾を引いた。
ちらり、横目でアルドを見れば、カッと目を見開いて片手で口を塞いでいる。頬はほんのり赤く染まっていて、悲鳴を我慢しているその様に、驚いているのは自分だけじゃないのだと少しだけほっとした。
そんなダルニスたちの存在に気づく素振りもなく、二人の行為はどんどんと激しさを増していった。
女が自らスカートを手繰りあげ、男が屈んで股間の辺りに顔を寄せる。ぴちゃりぴちゃり、猫が水を飲む時のような湿った音が鳴り、あ、あ、とか細い女の声が切れ切れに響く。その声を耳にすると、ざわざわと胸が騒いで仕方なかった。
しばらくして、男は女から離れて立ち上がると、ズボンに手をかけ前を寛げる。そうしてぼろり、飛び出したイチモツを目にして、ダルニスはようやく二人の行為の意味を朧気ながらに悟り始め、ぶわりと一気に体温が上がる。意味が分かれば、より一層それを見ているのが恥ずかしくなって、居た堪れない気持ちになってゆく。
と、その時。
ぺきり、乾いた音が響いて、視線の先の男女の動きがぴたりと止まる。
そうして男がどこか焦った様子できょろきょろと辺りを見回し、その視線がダルニスとアルドの潜む草むらに向かう前。
ダルニスはアルドを引っつかみ、四つん這いのまま急いで逃げ出した。途中からは立ち上がって、アルドの手を握り直して全速力で駆ける。追ってくる気配はない。
それでもダルニスの足は止まらない。走って、走って、走って、村の入口が見えてきた所できゅっと方向転換をして、ヌアル平原の釣り場の近く、ダルニスとアルドの秘密基地の小さな洞穴に飛び込んだ。このまま村に駆け込んでしまったら、慌てて帰ってきたダルニスたちの話がさっきの二人にまで届いて、覗き見していた事がバレてしまうかもしれないと、直前で思いついたからだ。さほど大きくない村の中では、ちょっとした異変もすぐさま村人に知れ渡ってしまうのだ。
しばらくは二人とも、呼吸が乱れたまま、荒い息だけが洞穴の中に響く。
「ごめん、ダルニス、オレが音たてちゃったから」
ようやく息が落ち着いた頃合、アルドが小さく呟いた言葉に、さっきの音がアルドが出したものだと理解して、ああ、と頷いたダルニスは、その先が続かず黙りこくった。アルドもうろうろと気まずげに視線をうろつかせている。赤いままの頬は、おそらくは全速力で駆けたせいだけではなさそうだった。
やがて意を決したように視線を上げたアルドが、恐る恐る口を開いた。
「な、何だったんだろう、あれ」
「……さあ」
本当は心当たりがあったけれど、きちんと説明できるほど詳しい訳じゃない。それに素直に口にするのは恥ずかしいような気もして、ダルニスはすっと視線をそらして言葉を濁す。
「い、いっぱい触ってた」
「うん」
「スカート、めくってた」
「うん」
「よく分かんないのに……ど、どきどきした……」
「……うん」
「ほんと? オレ、変じゃない? ダルニスも?」
「うん……どきどきした」
堰を切ったように言い募るアルドの声は、どこか不安げに揺れていたけれど、ダルニスが頷いて同意を返せば、ほっとしたようにへにゃりと破顔する。その顔につられて、強ばっていたダルニスの体からもすうっと力が抜ける。
と。
ぺたり。
アルドの手が、服越しにダルニスの胸に触れた。
驚いたダルニスがまじまじとアルドの顔を見ると、首を傾げたアルドが不思議そうにぽつりと呟く。
「楽しいのかな、あれ」
うーん、よく分かんないな、と言いながら、さわさわとダルニスの胸を触るアルドの手が少し擽ったくて、やられてばかりなのも悔しかったから、ダルニスもアルドの胸を触り返す。
「わっ、くすぐったいよ!」
「お返しだ」
「やめてってば! あはは、あははははっ!」
ダルニスよりも擽ったがりのアルドは、すぐに大きな笑い声をたてて身を捩りながら、負けじとダルニスの腰を擽り始めた。
そうしてひとしきりお互いを擽りあってから。再び息が切れて、ぜえぜえと荒い息をするアルドを見つめたダルニスは、衝動的にちょんとアルドの唇に自身の唇を重ねた。
すぐに我に返ってばっと身を離し、ごめん、小さな声で呟いたけれど、ふにり、唇に当たる柔らかな感覚は想像以上に心地よくて、なんだか胸がぎゅっと苦しくなる。
そんなダルニスの一連の行動にきょとんとしていたアルドは、すぐにぱあっと表情を輝かせると、今度はアルドの方からちゅっちゅっと唇を寄せてきた。
「だ、ダメだ、アルド! こういうのは好きなやつとや るもんなんだぞ」
「ダルニスからしたくせに。それにオレ、ダルニスのこと好きだよ。ダルニスは好きじゃないの?」
「……好きだけど」
「じゃあいいだろ」
慌てて諌めようとしたものの、逆にアルドに言い負かされてしまって、うう、とダルニスは唸り声を上げた。ふにり、ふにり、押し付けられる唇は柔らかくて気持ちがよくて、止めてしまうのが勿体なくて、強く拒絶する事も出来ない。
ついにはダルニスの方からもぢゅっとアルドの下唇に吸い付けば、じんわりと口の中に仄かな甘さが広がって、もっともっと味わいたくなってしまう。ぺろり、伸びたアルドの舌に唇を舐められれば、くすぐったいのに気持ちがいい。ぐずぐずと広がるむず痒さにかぷりと軽く歯を立てられれば、じんと頭のてっぺんが痺れたような心地になる。
「これ、すごく、気持ちいい……」
「うん」
いつの間にか上がっていた息が、はふはふと吐き出されてさわりと濡れた唇を撫でるのすら気持ちがよくって、うっとりと噛み締めるように紡がれたアルドの言葉に頷いてまたそっと唇を押し付ける。
ちゅうちゅうと唇を吸えば、舌の裏、ぶわりと唾液が噴き出して口の中いっぱいになってゆき、何度も何度も飲み込んだのに、妙に喉が乾いて仕方がなかった。
唇を重ねる毎に心地良さが一層深まってゆき、終わってしまうのが勿体なくて、切り上げ時が見つからない。じゅう、じゅう、夢中でお互い吸い付いていたせいか、気づけばどちらの唇もぐしゅぐしゅに濡れていて、きらきらと光っていた。
ようやく区切りがついたのは、遠く、ダルニスとアルドの名を呼ぶ声が聞こえてからようやくだった。なかなか帰ってこない二人を心配して村の大人が探しに来たのだろう。
慌てて大声で返事をしてからぐしぐしと唇を拭い、アルドの手を引いて立ち上がろうとすれば、ぐい、と留めるように後ろに引かれる。
「ど」
うしたんだ、アルド。
振り向きざま、口にしようとした疑問は、近づいた唇にせき止められ、最初の一音で途切れてしまった。
じゅっ、とダルニスの上唇を吸ったアルドは、ちゅぽん、と大きな音を立てて離れると、へへへ、と笑った。
「ダルニス、口、真っ赤だ」
してやったり、とでも言うように、得意げに目を細めるアルドに、胸がざわついたけれど、何も言い返すことなくそのままアルドの手を引いて、声のする方へと歩いてゆく。
案外、負けず嫌いなところがあるのは自覚している。む、と自然と下がった口角はきっと、アルドにやり込められて悔しい気持ちがあるからで、村に帰ったらダルニスも仕返ししてやろうと密かに思っている。
でも、どうしてか、不思議だった。
ざわざわと騒ぐ胸の中に居座るのは、悔しい気持ちだけじゃなくって、落ち着かないような、苦しいような、名前の分からない気持ち。それを見極めようとすれば、ぎゅうと心臓が痛くなって、ぱっとアルドの唇が頭の中に浮かぶ。濡れて光った、赤い唇。思い出せば喉の奥が詰まったようになって、どくどく、耳の奥で心臓の音が大きく響く。
ようやくダルニスたちを探す村人に見つけられて、少々のお小言を貰いながら村へと帰る間。
ちらり、ちらり、アルドの顔を盗み見て、その唇が未だ赤いことを確認したダルニスは、しくり、何かに締め付けられたような胸の痛みを誤魔化すように、ぎゅうう、アルドの手を握った掌に力を込めた。