めっ!
なんとなく口の中に違和感があって、アルドはもぞもぞと舌先で口内を探った。ざらりとした肉の触感のうち、違和感があったのは右頬の内側。ぷくりと盛り上がったそこをつんつんと舌でつつけば、じわんとした痛みが広がる。
心当たりはあった。昼間、食事の途中に魔獣の影が見えて、慌てて口の中のものを飲み込む際、うっかりがちんと頬の内側を噛んでしまった記憶がある。おそらくはそれだろう。
しばらくは気づきすらしていなかったのに、一度気づいてしまうとどうにも気になって仕方ない。あまり触れない方がいいと分かっていても、気づけば舌を動かしてざらりざらり、膨れた肉の形をなぞってしまう。
何をしていても頭の片隅にその存在が引っかかって、無意識のうちに舌でつついてしまう。その度に微かに疼く痛みで、いくらか気がそちらに削がれてしまうせいで、どうにも集中が続かないまま、どことなくぼんやりと時間を過ごしていた。
「アルド」
その時もまた、舌をもぞもぞと動かしていた。
バルオキーの近くの街道、戦闘後。特に危なげなく魔物との戦いを終え、周囲に他の魔物の気配がないことを確認して、ふうっと肩の力を抜いて剣を鞘に収めてから。
一足先にと村へとかけてゆく仲間たちの後ろ姿を見つめていれば、ふいに強い声で名前を呼ばれ、はっとして振り返ればすぐ後ろにネロがいた。
アルドの名を呼んだネロは、水筒につめた水をとぷりとぷりと自らの手に注ぎながら、指先を丹念に洗っているように見えた。
「どうひっ……んうっ!」
どうしたんだ、何してるんだ、とそのネロの行動について問おうと口を開いた途端。
がつり、濡れたネロの指が躊躇いもなくアルドの口の中に差し込まれた。
「んんん、んーっ!」
「大人しくしてなよ。……ああ、これか」
突然の暴挙に目を白黒させ、唸り声を上げて抗議するアルドを気にした風もなく、口内に侵入したネロの冷たい指先がぐいぐいと奥へと進んでゆく。いっそ噛み付いてしまえば追い出せるだろうか、と一瞬考えはしたものの、拳を武器に戦うネロの手に傷をつけるのは躊躇われて、抗議の声は上げつつもアルドは仕方なしに口を大きく広げて入ってくる指を受け入れた。
指先でさわりさわり、あちこち口内に触れられてゆくうち、その先端がつい先程まで舌先で弄んでいた部分にひたと触れた。冷たい指先にはアルドの体温が移り、最初よりも随分と温くはなっていたものの、腫れたそこにはまだひやりとした差があった。
鋭い痛みはなかったけれど、触れられれば他の場所より違和感は大きい。思わずびくりと身を竦めれば、すぐに指先は離れていった。
「あまり触りすぎると治りが遅くなるよ」
ふ、と囁いたネロの言葉は、笑みを存分に湛えた声色をしていて、わざとらしく耳を掠めた息がくすぐったかった。ぞわり、と首筋に走った寒気に似た感覚を必死で逃がしながら、アルドは小刻みにこくこくと頷く。
先程までの、無意識にまで染み付いたクセについて、咎められているのは分かった。ちゃんと気をつける、もうしない、十分分かった、との気持ちを込めて、何度も何度も頷いて、視線でも必死でもうやめてほしいと訴えたつもりだったのに、ゆるりと目を細くしたネロは口の中に差し込んだ手を引き抜いてはくれなかった。
膨れた瘤を抱えた頬とは反対側を、指先、おそらくは人差し指と中指の先、揃えた二本でゆるゆると丹念に何度も擦られる。そこには何もない筈なのに、撫で付ける指がしっとりと湿り体温が移って同じ温度になるにつれ、触れられてもいない腹の底がぱちんぱちん、炙られたように熱くなってゆく。悲しくもないのにぶわりと目の奥が痛くなって、じんわりと目尻に涙が溜まっていった。
やがて湛えた水滴が重さに負け、ぽろりと頬を伝って流れ落ちると同時、執拗に頬の内を撫でていた指先がつ、と離れてゆく。けれどようやく終わった、と安心する間もなく、今度はざらりと上顎を撫でられてしまった。
ずくり、途端に走った衝撃は、頬を撫でられた時の比ではなかった。上顎の浅い部分をちろちろと指先で細かに擽られれば、その度にじんじんとむず痒さが口の中に広がってゆき、目尻に溜まる水滴の量があっという間に増えていった。むず痒さは背中を伝って全身をかけてゆき、ぱちぱちと腹の底に燻っていた熱がかあっと一気に燃え上がる。
そこでようやく、感じる擽ったさが快感と結びついていることに気がついてしまって、ひくんひくんと背中が引き攣れたように反応した。
一度自覚してしまえば、上顎、歯の裏の付け根から奥に向けてゆるゆると撫でてゆく指先の動き、一つ一つを意識せざるを得ない。こすこすと小刻みに揺れる指先に合わせて、ん、ん、と鼻から息を漏らせば、徐々に与えられる刺激が一等甘い疼きを生み出す場所へと集中してゆく。
まるで何もかも見透かされているようで、おそらくそれは気のせいでなく実際その通りで、くちゅくちゅと時折溜まった唾液をすくってはまた執拗に同じ場所を撫であげられ、はふはふと隙間から吐き出す息が短くなってゆく己の様に、快感とは別の羞恥でふつふつと頬が赤らんでいった。
ついに口の端から、飲み込む事が出来ずいっぱいになってしまった唾が、つうっと垂れれば、すかさず伸びてきた指、親指でぐ、とすくって口の中に押し戻される。ついでのように指の腹で撫でられた唇までも、口内の熱がはみ出たかのように、じんじんと熱くなった。
もうだめだ、いよいよ限界が近づいてアルドはぎゅっと目を瞑った。触らなくても自身の下半身が、固く熱を持っているのが分かる。あともう少し、数度撫でられれば果ててしまう予兆があった。
恥ずかしい、気持ちいい、やめてほしい、続けて欲しい。
相反する気持ちがぐるぐると渦巻く心を持て余し、ある意味では全て投げ出して与えられる刺激に身を任せた瞬間。どくりどくり、猛った己自身がぞくぞくと震えた刹那。
嬲るようなねっとりとした動きから一転、はふはふと所在無く震えるアルドの舌先を、ネロの指が二本の指で摘んでぐっと引っ張った。するとそれが終わりの合図だったかのように、ぱっと舌が解放されて、すっと指が引き抜かれる。今までの執拗さが嘘のように、あっさりと退いてしまった指。ぽかりと空いた口内の物寂しさに、あ、と思わず零れた声には、隠しきれない名残惜しさが滲んでいた。
「これに懲りたら、それ、治るまで触ったら駄目だよ。全く、いくら強い魔物が出てこない場所だからって、気を散らしすぎだぜ」
くすくすと楽しげに笑うネロの声が耳元に注がれ、がくん、耐えきれずアルドはその場にしゃがみ込んだ。ふうふうと吐き出す息は荒く、中途半端に追い上げられたせいで、しばらく立ち上がれそうにない。
じろり、座り込んだまま恨めしげにネロを見上げれば、艶やかに笑った彼は、ねとりと糸を引く指先をまるでアルドに見せつけるように自身の唇に寄せ、突き出した舌で根元から先端へとちろりと舐めあげた。
とても直視することが出来なくて、慌てて目を伏せればあはははと快活なネロの笑い声がからからと空気を大きく揺すぶる。全部分かった上でからかわれているようで、ううう、とアルドは呻き声をあげてますます俯いて小さく縮こまる。
ネロに何を咎められているのかは、十分に理解出来た。確かに戦闘中も、どこか気がそぞろだった事は否めない。それについては全面的にアルドが悪い。
分かっている、オレが悪かった、指摘してくれてありがとう。
指摘の仕方に思うことはありすぎるほどあるけれど、それはそれ、これはこれ。きちんと礼を言っておくべきだと分かっている。
分かっているのに。
声を出そうと口を開く前、ごくり、唾を飲み込めば、唾液に混じって、しょっぱいような甘いような生温いような、不思議な味がする。
それがネロの指の味だと気づいたアルドは、ただでさえ火照った頬に更にぼふりと頬に熱を積み重ねる。触れられた内も、触れられていない外も、熱くて、熱くてたまらない。
こっそりと気づかれぬよう、自身の舌先で触れられた上顎をそろりと舐めてみれば、燻る熱があっさりと再燃してぞくぞくと身体を震わせた。固く挟んだ太ももと腹の間、落ち着け落ち着けと繰り返し念じて多少緩く解けつつあった強張りが、また少し勢いを取り戻してしまう。
すべきことは、分かっている。分かっているけれど。
まだ当分の間は、口を開くことも、立ち上がることも、どちらも実行するのは難しそうだった。