恥ずかしい


指定されたのは、煌々と部屋を照らす照明の真下。

そこに立って服の裾に手をかけ、捲りあげる前。一度、ふううと息を吐き出す。布に触れた己の指先は微かに震えていて、それを自覚すればかあっと耳が熱くなった。
くすり、と小さな笑い声が聞こえた気がして、ちらり、視線をそちらにやれば、ベッドの上で胡座をかき、膝についた肘、そこから伸びた腕の先。掌に頬を預けたネロが楽しげに笑うのが見えて、慌ててアルドは視線を逸らす。心なしか、指先の震えが大きくなった気がした。
ふ、ふ、と追加で二度、短く息を吐き出してから、そろり、掴んだ裾を捲ってゆく。体温の移った熱が取り払われ、外気に晒された肌がぞわりと粟立った。剥き出しの肌、露わになった腹を空気で擽られた心持ちになって、それだけでじわり、腹の内側が熱くなる。
ちょうど胸の下まで服を上げたところで、もう一度ちらり、ネロの方を見た。楽しげな顔は相変わらずで、けれどその瞳はまるで検分でもしているかのように、アルドの身体の輪郭をゆるゆるとなぞっている。
その視線で腰から腹にかけて撫でられた途端。ぞわぞわ、先程までの比ではないほど、焦れったい疼きがアルドの中に生まれる。
直接触れてもいないのに、ネロの視線で辿られた部分を質量を持った熱が通り過ぎていったようで、たったそれだけのことでぶわりと全身から汗が吹き出した。
闇雲に吸い込んだ息は、カラカラになった咥内をさらに乾かすだけで、飲み込もうとした唾はうまく喉を通ってはくれない。
じりじりと焼け付くような視線と、込み上げる羞恥に耐えかねたアルドが、ぎゅうっと目を瞑り、一気に服を脱ぎ捨ててしまおうと裾を掴む手に力を込めれば、そんな内心を見透かしたようにネロの声が部屋に響く。

「こら、焦らないで、ゆっくり。約束だろ?」

楽しげな色を乗せたまま、咎めるようなネロの口ぶりに、行動に出かけたアルドの腕がびくんと震えて動きを止める。閉じた目を開いて、お願い、と懇願するようにネロを見つめたけれど、ネロは美しく弧を描いた唇をさらに吊り上げながら、ゆるりと首を横に振った。
半ば予想はしていたけれど、はっきりとした拒絶の形を目にしたアルドは、目を伏せて軽く唇を噛む。
いっそのこと、ネロの意向なんて無視してさっさと脱ぎ捨ててしまおうか。一瞬浮かんだ考えは、すぐにアルド自身によって却下される。
そうすれば目下の羞恥からは解放されるだろうけれど、同時にこの時間も終わってしまう。ネロはひょいと肩を竦め、「なら仕方ないね」と未練一つ見せずあっさりと部屋を出ていってしまうだろう。それは嫌だった。
好きにすればいいだろ、と意地を張って突き放せないほどには、アルドはネロにすっかりと骨を抜かれてしまっている。心だけじゃなく、体だって。

反抗の芽を自ら摘み取ったアルドが、奥歯を噛んで再び、のろのろと服を捲りあげてゆけば。

「ちゃんと想像してるかい? アルド、君は今から僕に抱かれるために、服を脱いでるんだってこと」

追い討ちのように、ネロの言葉がアルドの羞恥を殴りつける。ひ、と吸い込んだ息が喉を鳴らし、動揺した指先から服の裾が零れ落ちた。胸元まで上がった裾は一気に元通り、固まったアルドの脳内にぐるぐるとネロの言葉が駆け巡り、染みてゆく。上がった頬の熱は顔だけに留まらず、首元まで熱く火照らせた。

「おや、今日は随分焦らすんだね」

それもこれも、全部ネロのせいなのに。
仕向けた本人はわざとらしく目を見開いて、服に隠れたアルドの胸から腹のラインを視線でなぞり、まだまだ楽しめそうだと艶やかに笑う。
ずくん、ずくん、体中のそこかしこが心臓になったように、頭も胸も指も、足の先まで、脈打って仕方ない。落ち着け、落ち着け、言い聞かせながら飲み込んだ唾は、ごきゅり、生々しい水音を響かせて、ますますアルドを追い詰める結果にしかならなかった。




「情緒がないね」

ため息と共に呟いたのは、ネロだった。
確か、何度目か、体を交えた後のベッドの上で。
随分前だった気もするし、そう遠い話ではない気もする。
その頃のアルドは、ネロとの行為に何の羞恥も感じてはいなかった。部屋で二人っきりになれば、雰囲気もなくぽいぽいと服を脱いで、さあやろうとネロに笑いかける。恥じらって声を抑えることも、顔を覆って視線を避けるような仕草も、一度だってしたことはなかった。
だってアルドにとってネロとのそれは、特別だったけれど恥ずかしい事ではなかったから。別の誰かに見られれば慌てただろうけれど、いつだって部屋には二人きり、ネロの特別な姿を見るのはアルドだけで、アルドを見るのもネロだけ。想いが通じて体を重ねるのは悪いことじゃない。
気持ちよくて、幸せで、いいことづくめのそれに、恥じるべきものを何一つ見いだせなかったアルドは、いつもそのままの気持ちでネロに向かっていた。

けれどネロは、そんなアルドの態度に些か不満があったらしい。
「そういう所は、君の美点だと分かってはいるさ」と前置きをして、「それでも。もっと色んな顔を見せてほしいと願う僕を、我儘だと思うかい?」と意味ありげに呟いて、珍しく眉を下げて笑ったネロの、言葉が意味するところを知ったのは次の機会からだった。


それまでだって最中に、「痛くないかい?」「気持ちいい?」と荒い息の合間にアルドに尋ねてきていて、その度にアルドも「痛くない」「気持ちいい」と正直に答えていたのだけれど、その日をきっかけにして、かけられる言葉の種類が徐々に変わっていった。

「痛くないかい?」の代わりに、「ここを抓られるのが好きなんだろ?」と揶揄いまじりにきゅうぅと乳首をきつく捻られるようになり、「気持ちいい?」の代わりに、「ここがいいんだよね」と確信めいて、がつがつと突き上げた腰で交わった内側、浅い部分を執拗に抉られる。
けして間違ってはいない指摘は、繰り返し囁かれるたびにアルドの中に何とも言い難い居心地の悪さを生み出していった。
含みもなく普通に尋ねられれば、思ったまま答えを返すことに何の躊躇いもなかったのに、どこか挑発するような口ぶりで断言されると、少しの反発心が生まれる。だけど何もかも当たっていて、否定すれば更に言葉を重ねて責められるから、最後には認めさせられてしまう。
一度、躊躇ってしまえば、ネロの言葉に反応するのが恥ずかしくなってゆき、煽られた分だけ羞恥がぐるぐると体の中に渦巻いてゆく。
そうしてアルドが、おそらく、恥じらいらしき感情をネロとの行為の中に見出した所で。
ネロの行動は、更にエスカレートしていった。

ある時は、鏡の前、後ろから抱え込む形で抱かれながら、自身の顔を見せつけられる。「すごくいやらしい顔をしてるよ、ほら」と耳元に囁かれた言葉にいやいやと首を振れば、思い切り奥を抉られて否定も忘れてあられもない嬌声を上げた。磨かれた鏡に写ったアルドの顔は、真っ赤に頬を染め、開いた唇の端から涎を零し、とろりと蕩けた瞳で自分自身を見つめ返している。
ネロの言った通り、ひどくいやらしい、抱かれて悦ぶ男の顔がそこにはあった。

またある時は、己の指で中を弄るように誘導される。ぎこちなく指を動かすアルドに、ネロは絶え間なく声をかけ続けた。
「すごく柔らかくて熱いだろ?」「ちょっと擦るだけで、ひくついて締め付けてくるんだぜ」「自分の指を咥えこんでこんなに気持ちよさそうにしてるなんて、すっかりいやらしい体になったね」「アルド、君も男なら分かるだろ? ここに挿れたら、とても気持ちよくってたまらないだろうってこと」
ネロの言葉の通り。挿れているのは自分の指なのに、きゅうきゅうと締め付け、ひくつく中の動きは信じられないくらいいやらしくて、とても自分の体だとは思えなかった。思えないのに、指を少し動かすだけでぴりりと甘い疼きが腰を揺らし、追い上げられてゆくのは確かにアルドの体なのもまた、紛れもない事実。終いにはネロの言葉のせいで、自分のそこに己のものを挿入することまで想像させられてしまい、たったそれだけのことで追い詰められた快感は、あっさりと芯を突き抜け放たれてしまった。

またある時は、繋がっている部分を指で確かめさせられる。
焦れったいくらいたっぷり時間をかけて、緩慢に抜き先を繰り返すそこは、アルドが想像する以上にぽかりと拡がってぱつぱつに伸び切っていたいた。くるり、くるり、握られ導かれた指先で縁をぐるりと一周させられて、熱い楔が引き抜かれる時、すがりつくように絡みつく肉がぷくりと膨れ上がり、尖らせた唇のように盛り上がる様を指の先に何度も教えこまれる。ぐ、と奥まで突き込まれれば、今度は盛り上がった縁を巻き込んで肉がずっずと内側に吸い込まれてゆき、アルドのそこはネロの動きに合わせて、呑み込んだ肉棒の形に従うように、絶えず形を変えているのだとまざまざと知らされた。

肌を合わせること、唇を重ねること、体を繋げること。
以前はちっとも恥ずかしいと思ってはいなかった一つ一つが、ネロと夜を過ごす度に羞恥で彩られてゆく。
服を脱ぐこと、視線を合わせること、言葉を交わすこと。
直接触れ合ってはいなくても、ほんの些細な動作にすら満遍なくそれは塗り込められ、アルドの中での意味を変えてゆく。
言葉で、身体で、視線で、手触りで、あらゆる方法で自身の様を克明に想像させられて、揶揄されて、追い上げられる。
ネロの視線に晒されるだけで、胸が苦しくなってじわりと汗が滲む。息の仕方が分からなくなって、腹の底にぼっと火がついたように熱くてたまらなくなる。
どうして以前は、平気でいられたのかちっとも分からない。思い出そうとしたって、それは明確な形になる前に溶けて消えてしまう。
仮に思い出せたとしたって、おそらく。
何も知らなかった頃には、戻れない。



もう一度、最初から。
今度はけして失敗しないように。
露わになった肌に、ちりちりとした熱っぽい視線を感じながら、アルドは慎重に服を脱いでゆく。
見ないでくれ、叫びたくてたまらなくて、すぐさま全てを脱ぎさってこの居心地の悪い空気を振り払ってしまいたいのに、浮かんだ心情とは裏腹にアルドの手は一層動きを遅くするばかり。

恥ずかしいことばかり増えていって、たまに泣きたくもなって、もう嫌だって逃げ出してしまいたくもなるけれど。アルドがそれを実行したことはない。
だって、教えられてしまったのだ。

言葉で、身体で、視線で、手触りで。
心にも、体にも、教え込まれてしまったのだ。

恥ずかしいことは、とても。
とても、気持ちがいいってことを。
恥ずかしければ恥ずかしいほど、いっぱい気持ちよくなれるってことを。

ぐ、と噛み締めた奥歯、下がった眉尻、その表情は今にも泣きだしそうに歪んでいるのに、服の裾がそろそろと上がってゆくにつれ、はっはっとアルドの吐き出す息の音が刻む感覚が、短くなってゆく。瞳の奥がとろんと蕩けて、胸元まで赤く染まってゆく。
やがて襟ぐりに頭を通し、纏っていた上着をようやく脱いだアルドは、ほ、と安堵の息を吐いて、ネロを見る。

「いいこだね」

ネロが口にしたのは、たったそれだけ。
優しげな、幼子を褒めるような口ぶりで、アルドを短く労わっただけ。
けれど舌なめずりをするかのような、ギラギラとした視線を向けられたアルドは。

「っ、あ、……っ!」

ぱさり、手にした服を床に落とすと同時、短い声を上げて崩れ落ちる。びくん、びくん、と跳ねる背中は、既にアルドが絶頂に達してしまったことを示していた。

「おやおや、気が早いね」

くすくす、部屋に響くネロの声に恥ずかしさを覚えたアルドの内側、腹の奥がきゅ、と直接握られたように、甘く甘く痺れる。引き攣れた体は、しばらく収まってくれなさそうだった。

「ん、んぅ」と短く喘ぎながら、アルドが視線を上げれば、そこにはいつの間にかベッドから降りていたネロが、アルドを見下ろしていた。
恐ろしく美しい笑みを浮かべて、ちろり、舌を覗かせた彼の表情にまた、アルドは大きく体を跳ねさせる。

服を脱いだだけなのに、まだ触られてすらないのに、自分でだって触っていないのに。
勝手にヨくなってしまっているのが、それをネロに余すところなく見られてしまっているのが、恥ずかしくて、逃げ出したくて、どこかに隠れたくて、消えてしまいたくって。
気持ちよくて、気持ちよくて、気持ちよくて。
たまらなく、気持ちよかった。

羞恥と快感に浮かされた頭、伸びてきたネロの腕にしがみつきながら、アルドは無意識のうち、笑みを浮かべていた。

恥ずかしいことは、気持ちいい。
恥ずかしければ恥ずかしいほど、いっぱい気持ちよくなれる。

だから、今日も。
いっぱい、恥ずかしい事をしてほしい。

期待を浮かべたアルドの瞳を見返したネロは、満足そうに笑みを深めて、ごくり、喉を鳴らした。