おじさんは頑張りたい
戦闘後、にこやかに仲間たちと話すアルドの姿を少し離れた場所から見守っていたロベーラは、ふっと小さく息を漏らした。
遠目から確認したアルドは一見して体の不調を抱えているようには見えず、それはおそらく気の所為ではなく本当に、どこも具合を悪くはしていない。
元々昔から、身体がこうなる前から、目は良い方だった。弓が得物となったのだって、性に合っていたこともあるけれど、一番の理由は人よりも目が良かった、それによるところが大きい。
身体の多くを機械化してからは、よりその傾向は顕著になった。著しく視力の落ちた右目を補うべく作ったスコープに、熱線暗視装置を初め様々な機能を組み込んだ結果、エルジオンの街中に擬態して入り込んだ合成人間を一目で看破できるほどの性能を持っている。
そんなロベーラの目をもってしても、アルドに不調は見られなかった。直前の戦闘での動きはむしろいつもより冴え渡っていて、どこかを庇うような動作は一度もしなかった。仲間と談笑する今だって、何かを隠しているような素振りは見えない。
スコープ越しのデータでも、記憶と照らし合わせたアルドの動きとの違いから判断しても、単純にロベーラの勘をもってしても、文句のつけようがないオールグリーン。結構なことだ。
けれどそんな結論を導き出したロベーラの顔は、いまいちすぐれなかった。釈然としていない、と言い換えてもいい。
誓って、ロベーラはアルドに悪意を抱いている訳ではなかった。初めは見慣れぬ場所での出逢い、せいぜいチョロそうな客が増えた程度の認識が、いつしか背中を預けるに足る男だと思うようになり、一応はアルドに雇われる形を持ちかけてはいるものの、それらしい理由をつけていいくるめてアルドからは金を受け取らない程度には、アルドという人間を気に入っている。
いいや、それだけでは足りない。気に入っているどころか、心を寄せているといっても過言ではなくて、それはロベーラからの一方的なものではなく、アルドからも向けられていて、つまり。
世間で言うところの、恋人関係にある。無論、仮初のものでも偽装でもなく、少なくともロベーラは、己をらしくないと度々自嘲する程度には、随分と若い恋人に参ってしまっている自覚だってあった。
そんなロベーラが、アルドの不調を願う訳が無い。もしも少しでも不穏なものを見つけたら、すぐさま取り除くべく行動に移しただろう。事実アルドの様子を確認したロベーラの心の中にまず初めに浮かんだのは、安堵だった。
しかし釈然としない表情を浮かべているのも本当で、照れ隠しの類ではなく心の底からアルドの状態に腑に落ちないものがあったのだ。
なぜならば。
(……若さか……)
つい昨晩、ロベーラとアルドはセックスをしたばっかりだったから。
それもアルドが受け手側、たっぷりとロベーラのものを咥えて気持ちよさそうに啼いていたのに、今はその名残がちっとも見えやしないから。
再び弁解するならば、ロベーラは次の日に支障が出るような形でアルドを抱くことはないし、翌日に激しい戦闘を想定した予定がある時は抱くことすら控えるようにしている。昨日抱いたのだって、今日はエルジオンで変わった事件がないかの聞き込みをしてエデンの手がかりを探す予定だけだったから。途中、アルドのお人好しの虫が騒いでエアポートへと繰り出す羽目にはなったものの、その頃にはすっかりとアルドの好調を確認していたので、止めることすらしなかった。
だから、当然の結果といえば当然なのだが。
それでもロベーラの中に、釈然としないものは燻り続けている。
今日の予定は午後からだったから、抱き潰すような真似はしなかったものの、いつもよりは時間をかけて執拗に攻めたてた自覚はある。身体に不調は出なくても、目覚めてもしばらくは情事の余韻が残るくらいの勢いで抱いたつもりだった。
しかしながら、そんなロベーラの思惑はちっとも反映はされなかった。
共に眠ったベッド、先に起きたロベーラがすやすやと幸せそうに眠る恋人を起こせば、しばらくむにゃむにゃと寝ぼけまなこでベッドにしがみついていたアルドは、何度目かの呼びかけで渋々起き上がって目を擦りながらベッドから降りると、ごくごく普通に身支度をはじめてしまった。
ロベーラの希望としては、しばらくそのままベッドの中で昨晩の余韻を楽しみつつ、恋人と触れ合っていたかったのに、既に身支度を終えてしまったアルドの顔には、情事の名残は一欠片も残ってはいなかった。ロベーラも準備しなくていいのか、と尋ねるアルドの顔は、どこまでも健全で純朴な青年のものでしかなかった。
さっぱりと夜の気配を消してしまった若い恋人に、まさかいい歳をしたおじさんであるロベーラからもっといちゃいちゃしたいだなんて言い出しにくく、更にはロベーラはアルドに格好いいと思われたい節もあったので、さも最初からそうするつもりだった風に支度を始めた。落ち込んでなんていない。
そうして支度を終えてすぐに部屋を出て、宿の食堂で朝飯を食べるうちに合流した仲間たちとそれからはずっと一緒で、ロベーラがアルドと言葉を交わしたのはほんの少しだけ。
それはいい。仲間相手に笑うアルドに腹を立てるほど狭量ではないし、ロベーラの恋人の顔から仲間に向ける顔へとさっさと切り替わってしまうアルドのそういうところは、多少寂しさを覚えないとは言わないが、仕事柄もあって好ましくも思っている部分でもある。
しかしながら。
抱き潰すような真似はしていない。
それは嘘ではないものの、少しだけ事実とは齟齬がある。
確かに初めの頃は、真綿で包むように、壊れ物に触るように、慎重に事を進めていっていた。けれど最初は物慣れなかったアルドは、回数を重ねる毎にどんどんと与える行為を飲み込んでいって、丁寧な行為だけでは足りないような素振りを見せるようになった。
ロベーラは、歳若い恋人のことが可愛くて仕方ない。大事にしたいと思っているが、求められれば求められた分だけ応えてやりたくなってしまう。
そしてアルドの身体に負担をかけないように、加減しつつも少しずつ少しずつ度合いを強めていくうち、ロベーラは気がついたのだ。
アルドの身体が予想を遥かに超えて頑健であり、かつ、とんでもなく絶倫であることに。
情事の直後、赤い頬のままくったりとベッドに伏していても、一晩寝れば何事もなかったようにけろりとした顔で元気に走り回っている。恐るべき回復力だ。
一度だけ、翌日が一日まるごと休みであった時、少し無茶をしたことがあって、前で五回、後ろで数えきれないくらい達したのに、目覚めたアルドはひょいとベッドを抜け出して、休みの筈なのに街に出て人助けに奔走していた。当然、走る姿勢にも振りかぶった剣にも、一切のぶれも滲んではいなかった。
身体に支障が出るような抱き方はしていないけれど、抱き潰すような真似をしていないのではない。抱き潰せないのだ。
むしろ最近は、次の日に支障が出ないぎりぎりまで頑張っている。アルドの身体に支障が、ではなくロベーラの身体に、だ。
昨日だって、散々喘いで気持ちよさそうにするアルドに強請られるまま、どうにか絞り出して三回まで頑張ったために午前中は心做しか身体が重かったから、エルジオンで手に入れた栄養ドリンクの世話になった。さすがに歳のせいか、三回はきつい。朝から予定がある日は、無理だ。
アルドだって前では二回しかイかなかったものの、最後の方は少し動いただけでビクビク痙攣していたくらい、後ろでたっぷりと達した筈なのに、今のアルドからはそんな様子は全く感じられない。
健康なのは良いことだ。回復が早いのも、アルドの旅の事を考えれば憂うべき事じゃない。
理性では分かっている。けれどたとえば、同じ男としてのプライドとか、改めて突きつけられる年齢による体力差への羨望と後ろめたさとか、可愛い恋人をそのうち満足させられなくなるんじゃないかなんて不安も相まって、ロベーラのおじさん心はとても複雑なのである。
と。
仲間と話していたアルドが、ふいにロベーラの方を向くと、太陽のようににかっと笑った。そして仲間にそのまま一言二言何事か告げると、ロベーラの方へと小走りでかけてくる。
たったそれだけとことで、微妙に浮かなかったロベーラの心は一気に浮上する。あまりに現金な転身っぷりであるも、仕方の無いことだ。恋するおじさんは、時として恋する乙女よりもチョロ、……純粋なのだ。
近寄ってきたアルドに、表情は変えないまま「どうした」なんて素っ気ない響きで尋ねたものの、心の中では太陽の光が降り注ぎ花は咲き乱れ小鳥達は歌い、真っ青な空からはアルドの顔をした天使が何人も降臨している所だった。仕方の無いことだ。恋するおじさんは、時として恋する乙女よりもチョロ、……夢見がちなのである。
けれどそんなロベーラの浮わついた気持ちも、長くは続かなかった。
少し周りを気にする素振りをみせ、至近距離にも関わらずちょいちょいと手招きをして耳を貸せと示すアルドに、やに下がりそうになるのを必死で堪えながら顔を寄せたロベーラの耳に囁かれたのは。
「今日も、部屋に行っていいか?」
明らかにアルドからの夜の誘いである言葉に、ロベーラはすぐに返事をすることが出来なかった。
明日の予定は詰まってはいないが、単純に連日はキツい。体力的にも心許ないし、正直一度勃つかどうかすら自信がない。昨日の夜と同じようにしようもすれば、多分、途中で精根尽きてブラックアウトしてしまう気がする。あまりアルドに情けないところを見せたくないロベーラとしては、さすがに辞退したいところだったが。
「……だめか?」
「好きにしろ」
なかなか答えないロベーラに、しょんぼりと眉を下げて肩を落とすアルドを見た瞬間、反射的に頷いてしまっていた。
しまった、とは思ったものの、ぱあぁっと嬉しそうに顔を輝かせるアルドを見てしまえば、今さら撤回なんぞできる訳が無い。「楽しみにしてる」と照れくさそうにはにかむ姿を追加されてしまえばなおのこと。
じゃあまた夜に、と言い残して先ほど談笑していた仲間たちの輪へと戻ってゆくアルドを努めて冷静な顔で見送りながら、ロベーラは頭を高速回転させる。
(体力的にはキツイが、栄養剤を飲めばなんとか……精力剤も飲んで無理をすればどうにか、だが反動がな……いいや待てよ、そうだ体力の消費を極力抑えてアルドだけをイかせられれば長くつきあうことが出来る……そのためには……)
無理をするのは吝かではないが、何度も続けられるものでもないし、後々の仕事に支障が出ても困る。お互いが満足ゆく夜を過ごすためにはどうするのが最善か、ロベーラは後暗い仕事も含め、今までの培ってきた知識を記憶から手当たり次第に掘り返しながら、思索に耽るのだった。
なお、そんな風に全力で可愛い恋人との夜のことを考えていたロベーラの表情が、あまりにも深刻なものだったため、アルドたちに何か厄介な案件を抱えているのではと心配されてしまったのは余談である。
そうして。
その日の夕方、エルジオンのスラム街のとあるアダルトショップにて。
鬼気迫る勢いで駆け込んできた全身を機械装甲で覆われた男が、棚の商品をまるごと買い込んでゆく姿があったらしいとの話が、一部のスラム街の住人の間でひそひそと噂され、巡り巡ってCOAにまで届く事になり、司政官ルームの隅で「……これってもしかして」「……まさか、なぁ」とどことなくうんざりとした顔で話す男女の捜査官の姿が見られたとか、見られなかったとか。