ぼでぃたっち


「すごいな、ノマルの鎧より堅いんじゃないか」
「お、おい、アルド……」

ぺたりぺたり、身につけた装甲を撫で回すアルドの掌に、ロベーラはらしくもなく心底困惑した声を漏らした。

そもそもロベーラの時代に生きる仲間たちより、過去に生きる仲間たちの方がパーソナルスペースは狭い傾向にあって、中でもアルドはそれが特に顕著ではあった。
異性相手であればそれなりの気遣いを見せる素振りはあるものの、戦闘直後にごくごく自然にアルドが仲間たちとハイタッチを交わす姿は、既にロベーラにも馴染んで見慣れた光景で、歳の近い同性相手とは背中をバンと叩きあったり肩を組んでじゃれあったり、そんな軽い接触を息を吸うように当たり前にこなしている。それはよく知っている。
育った環境もあるだろうし、若さもあるのかもしれない。或いは生来の気質だろうか。人懐っこく笑うアルドにはそんな振る舞いがよく似合っていたから、特に違和感を覚えることもなかったのだが。

少し俯けた視線のすぐ先、ふわふわと揺れる黒い癖毛を見つめて、ロベーラは小さなため息を吐き出す。
ロベーラの仕事を手伝うと主張するアルドを連れ、ゼノ・ドメインに侵入して目的を果たし、依頼人への報告を終えたあと。
さて一服しようと煙草を取り出したところで、おもむろにアルドがロベーラへと近づいてきた。
何がアルドの興味の引き金を引いたのかは分からない。
けれど完全に何かのスイッチが入ったらしいアルドは、「ロベーラの身体ってすごく頑丈だよな」と感心した様子でキラキラと目を輝かせ、触ってもいいかと尋ねてきたのだ。

全く前触れのない唐突な申し出に戸惑いはしたものの、アルドの気持ちも分からなくはなかった。
自分の身体を機械化する事に少なくない葛藤はあったものの、今ではすっかりと身体の一部のようになっているし、長く付き合うものだからとデザインにも細部まで拘っていて、カスタマイズにカスタマイズを重ねたボディを褒められるのは悪い気はしない。変に気遣われて同情されるよりも、すごいなと笑いかけられる方が気が楽なのは事実だ。
ロベーラだって武器を見るのは嫌いではないし、アルドもそういう感覚なのかもしれないと思えば理解は出来る。
だから、軽い気持ちでアルドの申し出に頷いたのだったが。

(……近すぎやしないか)

頷いて早々、ロベーラは後悔していた。
せいぜい一撫で二撫ですれば満足すると思っていたのに、密着しそうなほどぐっと距離を詰めたアルドは、ぺたぺたとロベーラの装甲を楽しげに撫で回していて、なかなか飽きる気配がない。
これがアルド以外の他の仲間たち、例えばデューイ辺りならば問題はなかった。子供のすることだと、気の済むまで好きにさせてやったことだろう。
けれどそれがアルドであるだけで、大いに困るのだ。主にロベーラの心情的な問題によって。

真っ直ぐな気質のアルドが眩しくて、青臭いくせにこちらの心情をずばりと見抜いて笑う顔に気まずさとある種の心地良さを覚えて、背中を預けられるほどには信用を向けても後暗い世界には手を染めさせたくなくて、自分では正義も何もかも信じられなくなったくせに、アルドを見ていればもしかしてそれは幻想ではなくアルドの中には壊れることなく存在しているのではないかと思えてしまって。
そんなアルドから目が離せなくて、ロベーラなりにその背中を守って支えてやりたいと思ううちにいつしか、それに特別な情が混じり始めていた。
自分の抱く感情に気付かぬほど鈍くもない。すぐに己のうちに生まれたものを自覚したロベーラは、行動に出ることなく今まで通り、アルドを見守る道を選んだ。
激情に任せて突き進めるほどもう若くはないし、ロベーラにとってアルドは一時の感情で迂闊に手を出してしまえないほど、あまりに特別で、大切すぎた。ある意味神聖視していると言ってもいい。
親子ほども歳の離れた自分が、アルドの生きる道とは正反対の場所にある自分が、悪戯に触れてよいものではない。それを穢すことは、何よりロベーラ自身が赦せなかった。
だから想いは胸に秘めて、けして伝えるつもりも、言葉の端に匂わせる事すらするつもりはない。
金以外もう何も信じられるものはないと思っていたのに、気づけば背中も心も預けるに足りると信じさせてくれ、冷え切った心に柔らかな灯りを宿してくれた。その事実があるだけで、想いが通じずとも十分満たされていた。全く信じてもいない神に、この巡り合わせを感謝してもよいと思えるほどに。

だから、こういうのは困るのだ。
見守ると決めたものの、枯れた訳では無い。一応、まだまだ現役のつもりだ。
こんなにも身を寄せられて触れられ、動揺しないでいられるほど悟り切ってもいない。
旅の最中に一瞬、距離が近づくことは多々あれど、こうも長い間アルドがぴたりとロベーラにくっつくことは戦闘中にヘマをして負傷した時くらい、つまりは滅多にないことで、更にはまじまじと装甲を眺めるアルドの表情はうっとりとしているようにも見えて、気を引き締めなければその背に手を回して抱き寄せてしまいそうだった。
それにロベーラを触る手つきだって、とてもよろしくない。
装甲の表面を大胆に触るのに、継ぎ目は指先でそろそろとなぞって形を確かめていて、感触を皮膚に馴染ませるかのようにすりすりと優しく指の腹で撫でる。いっそ官能的ですらあるそれは、ともすれば愛撫をされているように見えて仕方がなかった。
とても直視し続けることは出来なかったけれど、完全に視界から外すことも出来なくって、ちらちらと視界の端に捉えてしまう。

思春期のガキでもあるまいし、妙に意識をしてしまうのがおかしいのだ。己に何度も言い聞かせた。
なぜならアルドは元々パーソナルスペースの狭い方で、仲間ともよく触れ合っている。いやらしさを欠片も含まないボディタッチには仲間への親愛しか滲んでおらず、そんな姿を遠目から見守って微笑ましい気持ちになっていた筈だ。
だからこれだってそれと同じで、そこに蠱惑的な色を見出してしまう己の頭がどうかしている。

けれど何度言い聞かせても、さわり、眼前で胸元を滑る指先を目にするだけで、あっさりと戒めは弾けて彼方へと飛び去ってしまう。装甲越し、指の感触を感じることがないのは助かったけれど、もしも直接肌にあの手つきで触られてしまったら、想像するだけで口の中にじわりと唾が溢れた。
ほう、と感嘆の息を漏らしながら「すごいな」「堅い」と呟く声を耳にしてしまえば、装甲の事ではなく別のものについて言われている錯覚すら覚え始めていた。非常に不味い傾向だ。
そんなアルドの目尻が微かに下がってふんわりと柔らかく笑んでいるのが、全ては己の不埒な感情によるものだと言い聞かせたって、どこか陶然としているように見えてしまうから、本当に困ったものだ。
堅い装甲で覆った内側、下半身がじりじりと熱を持ち始める気配があって、いよいよロベーラは天を仰ぎたくなった。幸い、装甲のおかげでアルドに気づかれることはないが、窮屈に閉じ込めた中で無理矢理に膨張するそれは既に若干の痛みを訴えている。装着中に勃起することを考慮に入れて設計はしていないため、時間が経てば勃つほどより痛みが増すのは明白だった。早急にどうにかしなければならない。

しかしさり気なくアルドを突き放そうとしても、「もう触っちゃダメか?」としゅんと眉尻を下げて問われてしまえば、重ねて強く言うことは難しかった。
困ってはいるし痛みはより強くなる一方ではあったけれど、手放すのは惜しいと感じる自身が存在するのも事実だった。見守ると決めた筈でも、いざ特別な情を抱いた当人から、装甲越しとはいえ触れられることに喜びを覚えないほど達観は出来ておらず、自分では手を出せない分、降って湧いたこの時間を可能な限り長く楽しみたいと思う部分があるのも否定出来ない。
もうこんな機会は二度とないかもしれないと、内なる声に唆されれば、諫めようとする心はあっさりと萎んでしまう。現金なものだと自嘲めいて笑おうとしても、キリキリじくじくと痛む股間のせいで、全く格好がつかなかったけれど。

結局、何度もアルドに「好きにしろ」と告げる羽目になり、狭い装甲の中にぎゅうぎゅうに閉じ込められた下半身の痛みが限界を通り越して脂汗が滲みかけ、うっかりと新たな扉を開いてしまいそうになった頃、ようやくアルドの手が離れていった。
まだ名残惜しそうな表情をしていた気もしたけれど、おそらくはロベーラの願望混じりの見間違いだろう。触れた指がすっと離れた瞬間、理性も何もかも捨て去りその掌を掴んで抱きしめてしまいそうになったのは、ロベーラの方だったから。
「良かったらまた触らせてくれよ」と無邪気に告げるアルドに曖昧に頷くうち、指に挟んだままだった煙草の存在を思い出す。まだ脱しきれない衝撃に呆然としつつ、何とか心を落ち着かせるべく、一服させてくれ、と告げれば、アルドはそれだけで心得たようにあっさりと離れて距離をとってくれた。
開いた距離に物足りなさと寂しさを覚えはしたけれど、同時にふっと緊張の糸が切れて強ばっていた肩の力が抜ける。
だからロベーラは、気取られぬようにほっとため息をついてから、たっぷりと時間をかけて慎重に煙草に火をつけた。


そうして。
胸いっぱいに吸い込んだ煙草の煙にげほごほと噎せながら、今までこなしてきた後暗い仕事の数々を思い出し、同時進行で素数を諳んじながら、下半身の熱を鎮めることに全神経を集中させていたロベーラは、知らない。

「ロベーラには絶対ぼでぃたっちが効果的だって、シャノンが言ってたのに……おかしいな、全然効果がある気がしないぞ……もしかして素肌に直接触らないとダメなのかな……」

少し離れた場所で、難しい顔のアルドがぶつぶつと小さな声で呟いていた事を。