ひと夜


燻った欲を吐き出す方法として、一番安全で手軽なのは、好みのタイプの皮を被った仮想空間のプログラム相手。
なにせ相手は、人とは違う言語で組み上げられたプログラム。気を使う必要もなければ、病気や妊娠の心配もない。ネットワークから切り離して使用後に痕跡をきちんと消せば、個人情報が漏れる可能性は限りなくゼロに近い。
しかしいかんせん相手は、人ではない。完璧なプロポーションはどこか空々しく空虚で、触れる肌の温もりも作り物めいて嘘くさい。妙に人肌が恋しい夜には、定められたレールから決して外れることのないそれは、余計に寂しさを際立たせてしまう。

次に適当なのは、そういった行為を生業として生きる相手。きちんとした店ならば病気の心配もなく、相手は仕事として割り切っているから、気は楽だ。情が移りすぎるのを防ぐために馴染みの相手を作らないようにして、それなりに行儀のいい客の顔をして通えば問題も起こらない。
けれどあくまで彼ら、彼女たちは、プロで、それを売り物にしている。ある意味身体が商品であるから、痕を残すような抱き方は出来ず、そういう面ではひどく気を遣う。職種は違えど仕事柄、商売道具には細心の注意を払うロベーラとしては、例えば金を払えば何をしても良いと勘違いして好き勝手振る舞うような、タチの悪い客には到底なれそうにない。

特定の相手がいれば一番良いのだろうけれど、ロベーラに今ところその気はない。いつ死ぬとも分からぬ仕事、更には恨みを買うことも多いとなれば、みすみす大事なものを作ってつけ込ませる隙を作るなんてごめんだ。
と、なれば後はもう、選択肢はさして残っていない。
電脳世界の中、後腐れのない相手を探す人々が集まる場所は、そんな残った数少ない選択肢の中の一つ。
一応、最低限の保証はされている。開示はされないもののシチズンナンバーの登録が必須で、定期的に通院記録を登録して性病の類を持っていないことを示さねばならない。それなりの手間をかけねばならないからこそ、おかしな相手に当たる事はさほどなく、ロベーラもこうしてたまに利用している。
しばらくアクセスしていないうち、溜まっていた誘いのメールにざっと目を通してめぼしい相手がいない事を確認してから、適当な条件を放り込んで一夜の相手を検索する。
男で、恋人に発展することは望まず、こちらが上で、多少の痕は残しても平気な相手。男でも女でも構わない性質だったが、女相手だと男よりも多少気を遣ってしまうから、今は男の方がいい気分だった。
いくつものプロフィールを確認して、目に付いた何人かに誘いのメールを送る。そのうち返ってきた数通とまたやり取りするうち、気になったのは一人の男。素っ気ないくらいに要件しか書かれていなかったが、一晩寝るだけの相手にはそれくらいが丁度いい。余計な言葉を挟むことなく、ぽんぽんと数度やり取りをするだけで、あっさりと日取りと待ち合わせの場所が決まった。



(まさか、なぁ……)

そして待ち合わせ当日。
夕方、指定されたカフェに先に到着し、相手を待っていたロベーラは、少し遅れてやってきた待ち合わせ相手の姿を見て、思わず顔が引き攣りそうになった。
なぜならそれは、ロベーラが知っている相手、それもあまり顔を付き合わせたくはない、COAに属する男だったから。いつも共に連れている二体のポッドはいなかったものの、その整った顔は見間違える筈もない。
それは相手から見たロベーラも同様だったようだ。外部を覆う装甲は外し、最低限の補助的なもの以外は取り払った外観は、合成人間と間違われることもあるいつものものとは随分と違うが、特に変装をしている訳でもない。こちらの顔を見るなり顔色を変えたところからして、ロベーラだと気づいたと考えて間違いないだろう。
ロベーラに視線を留めたまましばし固まっていた彼は、しかし立ち去ること無くロベーラの方へと近づいてくる。
指定の日時、指定のカフェ、指定した座席。いつものCOAの制服ではなく、白のニットと黒のジーンズを履いた彼の格好はまさしく、メールで相手が告げた格好と同じもの。偶然だと言い張るには、あまりにも条件が一致しすぎている。

「……Cか?」
「ああ、残念なことにな。そっちはアロウで間違いないか?」
「……正解だ」

それでも、何か別の用事で立ち寄っただけかもしれない。たまたまロベーラを見つけただけかもしれない。今現在、捕まるような案件も抱えていないし、いくつかの後始末で証拠だって残してはいない筈だが、後ろ暗いところはいくらでもある。何度か追うもの、追われるものとして敵対した事のある彼なら、強引に引っ立てようとすれば適当な罪を掘り出すくらい造作もないことだろう。
むしろそうであってほしい、と、どこかで思っていたのに、けれど現実はうまくいかない。
サイトに登録されていた名前を出せば、むすりとした顔で頷かれて、更にはこちらの登録名まで出されてしまえば、これ以上否定も出来ない。とても後腐れのありそうな相手だ。
面倒なことになったな、と思うロベーラと同様、COAの男、セティーも顔に面倒くさいとの表情を浮かべていたものの、じゃあご破算だと去る素振りはなく、ため息をついてロベーラの前に座る。

「……捕まるようなヘマはしていない筈だが?」
「ああ、忌々しいことにな」
「じゃあ、何だ。何がしたい」
「決まってる、今日の俺はCだ。あんたもだろ?」

まさか交わした約束を履行するつもりがあるだなんて思わず、警戒を抱いて意図を探れば、意外にも彼の方は電脳空間で繋いだ関係を続ける素振りを見せたから、おや、とロベーラは片眉を上げる。
正直に言って、ロベーラの方としては別に相手が何であっても構わない。プライベートはプライベート、仕事は仕事できっちりと区切っているから、仮に仕事で命のやり取りをした相手でも、プライベートまで遺恨を持ち込むつもりはない。けれどセティーはたとえプライベートだとして、割り切ってそんな相手としてロベーラを許容出来ないと思っていた。だからこそ、面倒なことになったと思っていたのに。

「構わないのか?」
「ああ、……あんたが相手なら、都合がいい」

何か罠でもあるのか、疑心混じりに確認を取れば、頷くセティーの唇が皮肉げに歪んだ笑みを作る。それを見て、ロベーラはようやく察して納得する。
何があったのかは分からないが、おそらく目の前の男は、手酷く扱われたがっている。めちゃくちゃに穢されたがっている。相手が後ろ暗い犯罪にいくつも手を染めているロベーラであるのは、彼の望みに合致しているのだろう。都合がいい、と吐き捨てたセティーの瞳が、笑みの形に歪んだ唇とは裏腹に、昏く翳ったのを見て、分かった、と一つ頷いて立ち上がる。

「ホテルは、すぐそこだ。別々に入った方がいいか?」
「ああ、そうだな……少ししてから行く」
「分かった。部屋番号は、サイトを通して送っておく」

動機が分かれば、もうここでぐだぐだと時間を潰す必要はない。ロベーラは燻る欲を吐き出す相手が必要で、セティーは手酷く抱かれたがっている。それだけ分かれば、あとはやることは一つしかない。
必要な事だけを言い残して、先に店を出て目的の場所へと向かった。


もしかして招き入れた瞬間、COAの顔をした男に、何かの罪状を突きつけられる可能性もあるかもしれないと、どこかでは疑っていた。彼と共に何人ものCOAの捜査員が突入してきて、取り押さえられる可能性を考慮して、はめ殺しではなくきちんと開く窓のある部屋を指定し、一応の逃走ルートは確保していた。
けれどそんなロベーラの懸念はまたしても、部屋にやってきたセティーによってあっさりと打ち砕かれる。

「おい、こら! ちょっと待て!」
「うるさい、さっさとしろ」

部屋に入るなりロベーラをベッドへと連れ込んで押し倒し、情緒の欠片もなく服を脱いでさあ突っ込めとばかりに足を開いたセティーに続いて、背後から新手の増援が現れる気配はない。この男は本当に、ロベーラと寝るつもりらしい。
けれどロベーラの方にもその気はあったとして、いきなり使い物になるものではない。剥ぎ取られるように脱いだ下着の中、まだ柔らかいそれを見たセティーは、忌々しそうに舌打ちをすると、近くにあったローションボトルを手に取って手に絡め、もどかしそうにロベーラのものを扱き始める。
ここまで、およそ五分もかかってはいない。捕物が始まるどころか、完全にやる気しかないセティーの勢いに押され、ロベーラが呆気に取られている間にも、竿を扱く手の動きは止まらない。
思考がついていっておらずとも、刺激されれば反応するのが男の性だ。ぬるつく手のひらの中、むくりと勃ちあがったそれをダメ押しのように数度扱いてから、セティーはおもむろにロベーラに跨り、性急に挿入を果たそうする。

「馬鹿か?! いきなり挿れるやつがあるか!」
「うるさ、っ、ぐぅっ」

為されるがままだったロベーラは当然、前戯の一つも施してはいないし、セティーも後ろを弄る素振りはなかった。予め解して中にローションを仕込んでいたらしいそこは、ずぶりとロベーラをしっかり咥えこんで飲み込んだものの、随分とキツい。切れてはいないようだが、ぎちぎちに締め付ける穴には、快感に混じり痛みすら覚えてしまう。

「そのう、ち、馴染むっ……う、あっ……」

それでもセティーは、腰の動きを止めようとはしない。苦しげに顔を顰め、腹を殴られたような鈍い呻き声を上げながら、強引に奥へ奥へと楔を捩じ込んでゆく。いくらロベーラが制止したって、聞き入れる素振りもない。

仕方がない。
止める事を諦めたロベーラは、代わりに放り出されたローションボトルを手に取り、接合部にたっぷりとつぎたしてから、セティーの腰を掴んで数度揺らす。未だ十分に解れているとはいえない狭さだったが、多少滑りがよくなって肉をこそげて抉り取るような、背筋の冷える感触は幾分かマシになる。
しばらく小刻みに腰を揺するうち、入り込んだ粘液がぬるぬると肉壁に絡みつき、ようやくセックスめいた体裁を取り戻してきたと思えば、急にセティーが大人しくなった。
先程までは苦痛に満ちた低い呻き声を上げていたくせに、今は耐えるようにぐっと唇を噛み、吐息すら漏れぬように不自然に息を潜めていた。試しに浅い部分、腹側を深く抉るように先端で擦ってやれば、くっと息を飲み込み、自らの手の甲に噛み付いて声が漏れないようにしている。

「違う、もっと、酷く、……めちゃくちゃに、してくれ……」

一度、動きを止めて様子を伺えば、ぎりぎりと絞り出すような声で、苦しげに告げてくる。まるで快感なんて必要ないとでもいうような、さっきまでの暴力に似たそれが欲しいのだと、乞うような口ぶりだ。
それに答えることなく、無言のまま体勢を変える。騎乗位から、正常位へ。繋がったまま、抱え込むようにセティーの体をベッドへと横たえたロベーラは、その耳元にゆっくりと囁いた。

「お望み通り、めちゃくちゃにしてやるよ」

囁くと同時、ぬろりと耳に舌を這わせてわざとぴちゃぴちゃと音を立てて、緩やかに抽挿を再開する。激しいセックスとは真逆の動きに、セティーは裏切られたとでもいうようにかっと目を見開き、いやいやと首を振ったが聞き入れてなんてやらない。腰に絡んだ足が、ぎゅっと締め付けて強引に奥へと導こうとしたが、誘導に従ってやることなく、特に反応の良かった場所を執拗に抉ってやる。くっと詰めた息、逃げるように曝け出された喉を、ちろちろと舌先で擽ってやれば、きゅうきゅうと中が分かりやすく反応してみせる。

率直に言って、腹が立っていた。
暴力めいたやり方で痛めつけられる事を望んでいるセティーにも、終始自分のペースで進めて身勝手にそれを得ようとしている事も、思い通りに出来ると侮られている事にも。
生憎、今日のロベーラは誰かを痛めつけるためにあるのではなく、Cと名乗る男とセックスをするためにわざわざ出向いてきたのだ。そりゃあ、多少手荒に抱くかもしれないとは言ったが、あくまでそれはセックスの範疇の中での事。痕をつけたり噛み付いたりはするかもしれないが、一方的に殴りつけるような真似をするつもりは毛頭ないし、それで喜ぶような加虐趣味も持ち合わせてはいない。
セティーが何を望んでいるかは、よく分かった。快感の欠片もない、苦痛だけを与える暴力を望んでいる。痛みでめちゃくちゃにされたいと思っている。
ならば、望み通りめちゃくちゃにしてやろう。

「大人を舐めるなよ、くそガキが」

ただし、暴力以外の方法で、だ。思惑に従ってなんてやらない。癇癪を起こしてヤケになってぐずる子供の、思い通りになんてなってやるものか。
耳が弱いらしい彼の、耳たぶをちゅっと吸い上げてから、せせら笑うように低い声で吐き捨てた。びくん、と震える体を押さえ込み、たっぷりと時間をかけて形を馴染ませるようにみちみちと少しずつ腰を進めれば、絡みついた太ももがふるふると震える。

「COAのエリートが、俺みたいなのに抱かれてよがってるなんざ、ざまあねぇな」
「ふぁ、ああっ!」

めちゃくちゃに痛めつけてほしいなら、してやろう。身体でなく心を、じわじわと痛ぶってやる。快感で飛ばして、嘲笑ってやろう。
声音に軽蔑を乗せて揶揄しながら、ぴん、と乳首を弾いてやれば、固く引き結ばれていたセティーの唇の端から、嬌声が零れ落ちる。

「なっさけない声だなあ、COA? その声、お仲間に聞かせてやったら、どんな顔するだろうなぁ」
「やめ、あっ、んっ……あああああぁぁぁっ!」
「はは、想像してイっちまったのか? ざまあねえな」
「あ、ああ、っちが、ひっ!」

ロベーラの思惑は、どうやら上手くセティーに嵌ったらしい。嘲りの言葉を強めれば強めるほど、反応が顕著になってゆき、堪えきれず漏れでる声が大きくなってゆく。悔しげに目をぎゅっとつぶるくせに、どこか嬲る言葉を喜ぶ色があった。暴力的なセックスでなくとも、彼の自尊心を痛めつけて傷つける事が出来るのだと教え込むように、辛辣な言葉を投げつけながら、処女地を開くように柔らかく腰を進め、慎重に性感帯を刺激して広げてゆく。

「どこもかしこもイイなんて、大した淫乱だ。さすがCOAの腕利き、こっちも上手いじゃないか」
「んーっ、んっ、うるさっ、……あぅっ!」

内側からだけでなく外側からも、形を浮かすように腹を押さえて撫でてやれば、それだけでまたぴゅるりと白濁を吐き出して達したものの、止まってなんてやらない。いやらしくねっとりと腰を撫でながら前立腺を擦ってやって、快感を誤認させて拡大させてゆく。新たに性感帯を開発して、植え付けてゆく。腰も、胸も、腹も、首も、どこを触られても、気持ちいいとみっともなく啼けるように、時間と手間をかけて嬲り続ける。

「もっ、やめ……むり……っ!」
「無理じゃない」
「ひっ……あ、やあぁっ……」

やがて嬌声に悲痛な懇願が混じり始めても、ロベーラはやめなかった。うっそりと笑みを深めて、真っ赤になった乳首をきゅっと捻りあげる。たったそれだけで、びくりと跳ねたセティーは、小刻みに痙攣しながらはふはふと赤い舌を覗かせて荒い息を繰り返している。もうすっかりと、射精せずに達する事を覚えてしまったらしい。とうに力の入らなくなったらしい足は、既に絡みつくことなくだらりと力なくベッドの上に投げ出されている。

「まだおちるなよ……めちゃくちゃにしてほしいんだろ?」

けれど、まだまだ終わらせてなんてやらない。望んだのは、セティーだ。
解れた肉壁の奥、降りてきた結腸の窄みをぐりぐりと柔らかく舐って、ちゅぽちゅぽと先端を僅かに突き入れて遊べば、蕩けたセティーの瞳に一瞬、恐怖が過ぎる。それを見逃さなかったロベーラは、一気に腰をつき込んで、ぱちん、高らかになり響く皮膚の音と共に、閉じられた奥を強引にこじ開けた。



(やり過ぎたな……)

ホテルを出た途端、降り注ぐ朝日の眩しさに目を細めたロベーラは、ひっそりと嘆息した。
結局、一晩中交わって、ようやく終わったのは朝日が上ってから。ずっとロベーラ自身が相手をしていた訳ではなく、途中で玩具もいくつか注文して届けさせ、ローターを数個突っ込んで遊んでみたり、乳首クリップをつけてみたり、口とアナル両方にバイブを突っ込んでみたり、宣言通りめちゃくちゃにしてやっていたら、いつの間にか朝になっていた。
カーテンの隙間から差し込む朝日にようやく幾ばくかの冷静さを取り戻したロベーラが見たセティーは、酷いものだった。酷使されたアナルはぷっくりと腫れて熱を持っていて、身体中には鬱血と噛み跡、そしてどちらのともわからない精液がこびりついている。途中で精液の代わりに何度か潮を噴かせたせいでシーツはびっしょりと湿っており、声はガラガラを通り越して掠れた息の音しか出ない有様だった。くったりと力が抜けて青白い顔をした彼は、COAとして相対する時よりもずっと幼くみえて、余計に痛々しい。
正気に帰ったロベーラが、慌てて中で震えるローターを引っこ抜き、どうにか意識のあったセティーを風呂に入れて清めてやる。そして汚れきったベッドではなく広いソファに寝かせてやれば、ぱくぱくと開閉する口で何かを言われたが、音にはならず何を言われているかは分からなかった。ただ、その後に響いた弱々しい舌打ちの音と、憔悴しきってはいるものの、ぎらぎらと光る瞳で睨まれたから、悪態の類だったのだと思う。
さすがにそんな状態の彼を一人放ってゆくのは躊躇われたが、手を伸ばせば撥ね付けられ、出ない声を振り絞って喉を傷つけながら威嚇をしようとする。ロベーラがいる限り、セティーは疲れ切った体を無理に奮い立たせて抵抗を続けるように思えた。
これ以上無理を強いるのは本意ではない。仕方なくロベーラは、手配して届けさせた回復薬を強引に呑み込ませて、多少赤みの戻った顔色を確認してから、先に部屋を出ることにする。フロントで金は多めに支払って、チェックアウトの時間を夕方まで延長しておいた。

(やり過ぎだ)

改めて惨状を思い起こして、再度重苦しいため息をつく。快楽で叩き落としてやろうと思ってはいたが、あそこまで行けば結局暴力と変わらない。悔恨がじわりと胸に絡みつく。

(まだガキみたいなの相手に、なんであそこまで)

セティーのやり方に腹が立ったのがきっかけだったが、あそこまでムキになって責め立てたのは、あまり自分らしくない。適当にあしらって程々に気持ちよく終わらせる事だって出来たはずだ。
何故だろうか、自身の中を探って理由を見つけようとすれば、出てきたのは一つの記憶。
確か、麻薬を取り扱う組織に手を貸していた件で、踏み込んできたCOAと鉢合わせしそうになった事があった。幸いロベーラは直前に離脱することが出来たのだけれど、滑り込んだダクトから離れるには現場を通るより他ならず、眼下で始まった捕物を気配を殺して眺めていた。
その中に、彼はいた。他の捜査員よりも歳若い彼は、誰よりも率先して悪党たちを取り押さえてゆく。その中、ヤケになった一人が捕まるくらいならと、自らに短剣を向けた時、彼は自身の腕を犠牲にしてそれを食い止めたのだ。血を流しながらも、「司法の裁きを受けさせる」と決然として言い放った彼の瞳に曇りはなく、少しの間、目を奪われた。多分、見蕩れていた。
やり手のCOAのホープの噂は、仕入れていた。やたらと顔が良くて、そのお綺麗な顔を使って上に取り入ったという、新しい捜査員。集めた情報では媚を売るのがうまいやつで、実力はさほどないと聞いていたのに、実物はそんな噂とは全く違う。技量も度量も、正義感も、その場の誰よりも飛び抜けて、正しく美しく光り輝いているようにみえた。
仕事柄、あちこちに独自のツテはあって、その中にはCOAの捜査員もいた。法に則り大多数が定めた正義を執行する立場にありながら、金で仲間を売るようなやつもいると知っていた。理想とは異なり、保身に走る人間だって存在する組織だと知っているからこそ、彼の眩いあり方は輝いてみえて、けして舐めてかかってはならない相手だとしっかりと記憶に焼き付けた。
以降、顔を合わせる度に足を掬われかけ、ますます油断ならない相手だという印象を深め、一番初めの、眩い彼の瞳の記憶は胸の奥底に沈み、思い返すこともなくなっていたのだが。

だから、多分、そういうことなのだ。
沈んでいた記憶を引っ張り出してようやくそこに思い至ったロベーラは、思わずその場にしゃがみこんで頭を抱えそうになる。
多分、元々気になっていて、基本的に敵対する間柄とはいえ、それなりに好意と敬意を抱いているからこそ、昏い目をして手酷く扱われたいなんて口にする彼に、腹が立って仕方なかったのだ。それは光の中に立っていた彼に似つかわしくなく、同時にひどく似合ってもいて、それが払われようとそうでなかろうと、全て抱えたまま光の中に戻ってゆくであろう彼の姿が見えてしまったから。
本当はもっと、優しくどろどろに甘やかしてやりたかった。けれど彼が望まないから、認識をすり替えて快感で狂わせてやりたかった。せめて痛いものではなく、気持ちのよいもので埋めて昏い翳りを一時でも忘れさせてやりたかった。それで、つい、暴走した。
散々ガキだガキだと彼のことを揶揄したくせに、自身の動機と行動の方がよほどケツの青いガキめいている。まるで気になる相手を虐める子供のようで、やったことは子供の戯れで済まないからタチが悪い。しかも自覚するのが全て終わってからなのだから、心底どうしようもない。

連絡先の類は、残してきていない。きっかけのサイトも、すぐに退会してデータを削除しなければならない。彼を気にする感情は自覚したけれど、これからも仕事を続けてゆく以上、COAであるセティーとの繋がりを残しておくのは危険だ。惜しいが仕方ない、必要なことだ。
きっともう、二度とこんな一夜を過ごす事はないだろう。再び顔を合わせるとしたら、正義と悪党、追うものと追われるもの、今まで通りの関係でしかない筈だ。

けれど、もし。
痕跡を消す算段をつけながら、一つだけ、ありもしない未来を夢想する。
もしもいつか、敵対する間柄ではなく、共に肩を並べて戦う仲間として出会うことがあったなら、その時は。
今度こそきちんと、何か優しいものを与えてやりたい。彼は嫌がって叩き落とすだろうが、せめて気晴らしの一つにでもなってやれればいい。彼が光の中で飛び続けるための踏み台になるのも、場合によってはやぶさかではない。
初めて彼を見た時、ロベーラは確かに、彼の中にいつかの昔に忘れて無くしてしまった、眩く煌めく、青臭くも美しい正義の形を見出したのだから。

(まあ、そんな日が来るとは思えないがな)

そして、ありえない想像に思考を飛ばしたロベーラは、しばしの後、ふっと唇を歪め、未練を断ち切るように静かに首を振った。