はじめてのちゅう
宿の二人部屋、並んで座ったベッドの上で。
ちょん、と一瞬触れた唇は驚くほど柔らかくて、ぴりりと胸の奥に痛みに似た疼きが走る。
もう一度、それを感じたくて唇を寄せようとすれば、あちらからも同様に近づいてきたこともあって、口づけるには少々勢いが良すぎたらしい。がつり、唇を挟んで硬いものがぶつかる鈍い音がした。ちかちかと散った衝撃に思わず仰け反り、じんじんと痛む歯の付け根を宥めるように手で口を押さえる。
見れば目の前、セヴェンも同じように手を口にやっていて、至近距離でばちりとかち合った視線に、ついついアルドの顔に笑みが滲んだ。
別にセヴェンの事を笑った訳じゃない。失敗したのはアルドも同じで、二人揃って痛みに呻いている現状がなんだかおかしくなったから。
だけどセヴェンは、そうは受け止めなかったらしい。
むっとしたように眉を顰めると、先程よりは勢いを殺して、けれど避ける間もなくぎゅうぎゅうと唇を押し付けてくる。近すぎて表情は窺えなかったけれど、仕草に滲んだ苛立ちは隠しきれてはいなかった。
つい先程感じた柔らかさとは別の、ぴったりと隙間無くくっついた皮膚から伝わる温度がもたらしたのは心地よさではなく息苦しさで、ふんふんと鼻で何度か大げさに息を吸い込めば、押し付けられた力がほんの少し緩んだ。しかし完全に離れてしまうこと無く、やわやわと感触を確かめるように強弱をつけて押しては引いてを繰り返す。
たぶん、初めはセヴェンの唇の方が温度が高かったと思う。けれど触れた場所から体温が移ってきたせいか、次第に触れる柔らかな肉に色づく熱がなだらかになって、同じになってゆく。
目を閉じて視界まで封じてしまえば一層、境界線がゆらゆらと滲んでふと、どこまでが自分のものか分からなくなってゆく。端から
どろどろと溶けていって混じり合い、同じ生き物になってしまった錯覚すら抱いてしまう。
ちろりと舌を出したのは、輪郭を辿って浮き上がらせるため。境を確認したかったから。それ以上の意味なんてなかった。
なのに尖らせた舌先でそろりと形をなぞれば、びくんと大げさにセヴェンの身体が跳ねた気配がした。
閉じていた目を薄く開けて様子を確認すると、カッと見開かれたセヴェンの瞳が見えたから、じわりと湧き上がった羞恥に慌ててぱちりと瞼を下ろす。
すると視界が暗がりに閉ざされると同時に、伸ばした舌先にひどく熱いものが触れて、今度はアルドの方がぎくりと身体を強ばらせてしまった。
つんつん、と舌先と唇に触れる湿り気と熱は合わせた薄い皮膚の比ではなく、先程セヴェンが驚いた理由にもすぐに思い至る。確かにこれがいきなり触れればちょっとびっくりするな、と納得しながら、唇をくっつけたまま互いの舌先をぺろぺろと舐めあった。
舌を差し出すために微かに開いた唇の隙間から、ぬるりと舌先を捩じ込んできたのはセヴェンの方が先。思わずひゅっと舌を引っ込めて口を閉じようとしたけれど、既に侵入を果たした舌は出ていってはくれない。
歯を立ててまで追い出す気にはなれなくて、むしろうっかりと噛み付いてしまわないよう心持ち開いた口の中、初めはどこか窺うように引っ込めた舌の表面をさらさらと辿っていた侵入者が、次第に行動範囲を広げて大胆に動いてゆく。
すりすりと、擦り付けるようにアルドの舌の側面に柔らかな肉を添わせたかと思うと、ぺろりと舌裏を舐めあげてじゅっと舌先を吸う。舌先で上顎を撫でられた瞬間、ぞわりと走ったむず痒さに思わず身を捩れば、引くどころか同じ場所を狙って何度もつつかれた。擽ったさに似た感覚が上顎から喉奥まで伝ううち、もどかしい痺れに変化して、頭の中、特に後頭部の後ろあたりをぐわんぐわんと揺すぶられる心地がした。
途中、アルドからもセヴェンの口内へ舌を送り込もうとすれば、むずがるような舌の動きに絡め取られて、阻まれて押し戻される。無理を通せばくぐり抜けられる気がしたけれど、どこか甘えてぐずるように絡む柔らかな舌がなんだか可愛く思えてしまって、とりあえず今回はとセヴェンの好きなようにさせることにした。
再びぬるりと入ってきた舌先が、舌裏をつついた瞬間たぷたぷと揺れた水の感触で初めて、随分とそこに唾液が溜まっていることに気がついた。一度自覚してしまえば気になってしまって、どうにか飲みくだそうとするけど居座る舌に阻まれてなかなかうまくはいかない。そのうちこくこくと空回りする喉の動きに気づいたか、セヴェンの舌先が溜まった唾液をすくっては、舐るようにアルドの口の中に擦り付け始める。
普段、自分の唾の味なんてちっとも意識したことがないのに、ぴちゃぴちゃと音を立ててアルドの唾を掬いとったセヴェンの舌がぬらぬらと舌の上を這えば、じゅわりと広がった水気がひどく甘い気がした。気のせいなのか、本当に甘いのか、確かめるように舌を絡めるうち、空回りしていた飲み込む動作にも僅かながら中身がついてきて、熱く乾いた喉奥が少しずつ湿っていった。
ぐ、ぐ、と奥へ奥へと入ってこようとする舌の動きと連動して、どんどんと前のめりに迫ってくるセヴェンの勢いに押され、次第に身体が後ろへと沿ってゆき、しまいにはぽすりとベッドの上に押し倒されてしまう。それでもまだ、吸い付いた唇は離れてはいかない。
舌を絡めながら器用に体勢を変えて、アルドの腹の上に馬乗りになる形で陣取ったセヴェンが、じゅっじゅと湿った音を立てて吸いついてくる。
それに応える形で舌を添わせていたアルドだったけれど、体勢のせいで狭くなった気道と食道、そして上から送り込まれてくるセヴェンの唾液のせいでとうとう、唾を飲み下すスピードがついてゆけなくなった。こぽりと唇の端から唾が溢れると同時に、気管に水気が引っかかり、咳き込みそうになった。
うっと喉を詰まらせたアルドに気づいたセヴェンがようやく離れてくれたのを確認し、一瞬の間をおいて堰き止めた咳をごほごほと音にして吐き出した。
噎せる最中、ごめん、と短い声が聞こえて、固く瞑っていた目を開ければ、へにょりと眉を下げてしょげかえったセヴェンが見える。
しかし困ったような表情とは裏腹に、頬は赤く上気していて、ぜえぜえと呼吸は荒い。肩は忙しなく上下していて、かちあった瞳はとろんと蕩けていたから。噎せてしまったアルドよりよほど、息が上がっているようにみえたから。
そのちぐはぐさがおかしくなってアルドは、やんわりと目尻を下げて手を伸ばし、よしよしとセヴェンの頭を撫でてやる。少し驚いたように目をみはったセヴェンはしかし嫌がる事無く、心地良さそうに目を細めておずおずとアルドの胸に頭を預けた。
そうして、しばらく無言のまま。
部屋の中に響いていた二人分の呼吸音が落ち着いてゆくにつれ、横たわった静寂がなんだか気恥ずかしくなってくる。
耳に届く音が小さくなってゆくほど、さっきまでの事が鮮やかに脳裏に蘇ってカッと頬が熱くなる。
セヴェンの頭を乗せた胸の奥、じわりじわりと速度を上げてゆく心臓の鼓動のせいで、そんな羞恥が全て伝わってる気がして、いたたまれなくなってくる。
だから。
「もう、いっかい」
告げようとしたのは、照れ隠し、冗談交じりの誤魔化しの言葉。
けれどそれが、最後まで音になることはなかった。
がばりと勢いよく頭を上げたかと思うと、アルドの頭の両横に手をついたセヴェンの、瞳がぎらりと煌いて。
形の良い唇から突き出た舌がぺろり、零れた唾を舐めとってから、がぶりと噛み付いた喉の奥。
するか、と続くはずだった言葉は、しゅるりと熱い舌先に溶けて、消えていった。