さよなら純情


(ど、どうしよう……)

ラウラドームのホテルの一室。
セヴェンはベッドの上、すやすやと規則正しい寝息をたてて眠るアルドを見つめ、ごくりと生唾を飲み込む。

次元戦艦には戻らず宿で一泊することに決めた今日、連れ立った仲間のうち男はアルドとセヴェンだけだったから、話し合うまでもなく自然な流れで同室になった。
そこまではいい。仲間が増えるにつれアルドと二人でゆっくり話す機会も減っていたから、二人部屋はむしろ嬉しかった。
ホテルのロビーで仲間たちと別れて部屋に入ってからしばらくの間も、ただただ楽しいばかりだった。
装備を外し寛いだ格好になって、各々武器の点検をしながらダラダラととりとめもない事を話す。アルドは視線は手元の剣先に集中させながらもセヴェンの話にちゃんと耳を傾けて、うんうんと相槌を打ち、時に楽しそうに笑ってさえくれた。
アルドの方からもセヴェンがいなかった間の、仲間たちの事やそれぞれの街で出会った珍しいものを教えてくれて、今度セヴェンも一緒に行こうなと誘ってくれる。何気ないそれがアルドにとっては社交辞令の類ではなく、心からのものだと知っていたから、セヴェンはその全てを一つずつ心の内に書き留めて、うきうきといつかの未来に期待を募らせた。

部屋に備え付けの風呂に入る段階で、ようやく少しだけ困った。なぜならセヴェンは、アルドへの恋心を自覚していたから。好きな相手が同じ部屋、風呂に入っているという状況には否が応でも意識せざるを得ない。
それでも、アルドが風呂へ入っている間はゴーグルのメンテナンスに意識を注ぐことで煩悩を振り払ったし、濡れた毛先をぺたりと首筋に貼り付けて出てきたアルドにどきどきはしたけれど、入れ替わり入った風呂で冷水を頭から浴びる事によってどうにか凌いだ。風呂に入っている最中には何度か、既に濡れたタイルや湿気のこもった室内に、アルドの気配を感じて頭に血が上りそうになって追加で冷水を被ったせいで、風呂から上がった時にはすっかりと身体が冷えきっていて、早くベッドに飛び込みたくって仕方なかった。

それでもまだ、そこまでも良かった。
冷たい身体をベッドに潜り込ませ、ツインルーム、少し離れて設置されたもう一つのベッド。肩まで布団に潜るアルドと、ぽつりぽつり話をしていればそのうち、冷えた身体は足先から温まり、やがて睡魔がやってきて何事もなく朝を迎えられる筈だったのに。

セヴェンが風呂から出て部屋に戻った時既に、アルドは眠りの世界に旅立っていた。髪はまだ湿ったままで乾かした様子がなく、掛布も何もかけないままベッドに寝転がって気持ちよさそうに眠っている。
さすがにこのままではまずいだろうと、セヴェンはアルドのベッドに近寄って軽く肩を揺すりながら声をかけた。

「アルド、風邪ひくぞ。髪拭けって、ほら、布団も」

他意はなかった。言葉の通り、アルドが体調を崩さないか心配なだけだった。
なのに、アルドはちっとも起きない。揺する手に力を込めても、少し眉を寄せてもごもごと呻いただけで、またすうすうと呑気な寝息を立て始める。

『お兄ちゃんってば、一回寝ると朝になるまで何しても起きないの。朝もお寝坊さんで、なかなか起きてくれないんだから』

そのタイミングで。ふと脳裏によぎったのは、フィーネの言葉。
慌てて首を振ってそれを追い出したセヴェンは、大袈裟にため息をついて、わざとらしく口に出して「仕方ないな」と呟きながら、濡れたアルドの髪にタオルをかぶせ、ひっぱってきたドライヤーをあててゆく。
あまり丁寧には扱わなかった。割と乱暴にごしごしとタオルで拭いながら、適当にドライヤーの熱風を吹き付ける。ぞんざいな扱いに、あわよくば途中で目覚めてくれればと願いながら。
それなのにアルドは、髪の毛がすっかりと水気を失いふわふわと柔らかくなっても、全く起きる様子がない。何度か寝返りを打っただけで、刻む寝息のリズムは途切れる事がない。

『お兄ちゃんってば、一回寝ると朝になるまで何しても起きないの』

かちり、ドライヤーの電源を切ってベッドサイドに置いて、アルドが背にした布団を引きずり出して肩までかけてやった瞬間に、もう一度。
フィーネの言葉が、わんわんとセヴェンの頭の中に響く。
それは愚痴にみせかけた仲の良い兄妹のエピソードの一端で、本当にもう、困っちゃうんだから、と頬を膨らませたフィーネの表情は、言葉とは裏腹にくすぐったげに緩んでいて、一緒に話を聞いていた仲間たちも微笑ましげに耳を傾けていた。

だから、違うのに。
そういうものじゃ、そういうことじゃ、ないのに。

『お兄ちゃんってば、何しても、起きないの』

まるで悪魔の囁きのように、フィーネの言葉が歪んでぐるぐると繰り返される。
だって本当に、アルドは起きなかった。
乱暴に頭を拭いても、ドライヤーの風をあてても、無造作に転がして向きを変えても、強引に布団を背の下から引きずり出しても。ずっと、ずっと起きなかった。
セヴェンのされるがままになって、深く深く眠りに沈んでいる。

「アルド。……アルド? なあ、アルド、アルドってば」

今すぐ、割り当てられた自分のベッドに飛び込むべきだ。
頭まで布団を被って目を瞑り、無理矢理にでも眠りを引き寄せて朝を迎えるべきだ。
すべきことは分かっているのに、セヴェンの身体はまるで言うことを聞いてはくれない。気づけばおそるおそる口を開いて、確かめるようにアルドの名前を呼んでいた。
一度目は囁き声から始まって、徐々に音量を大きくしてゆき、最後には軽く部屋の空気が震えるほどに。
それでもやっぱり、アルドの目は開かない。セヴェンの声に反応することは無い。

ごくり、唾を飲み込んでセヴェンは、眠るアルドへと一歩近づいた。ちかちかと頭の中で赤い光が警告灯のように光っていて、今ならまだ引き返せると良心が必死で引き止めている。やめろ、戻れ、理性がわんわんと大声でがなり立てている。
なのに、伸びた手の勢いは止まらない。
一度、かけてやった布団に手をかけ、腰の辺りまで捲る。だけどアルドは起きない。
もう一歩、近付いて、慎重にベッドの脇に腰を下ろせば、きしり、スプリングが撓んでマットが体重の分だけ沈む。だけど、アルドは起きない。

ふー、ふー、と響く風の音がやけに煩くって、一体何の音だと少し焦って部屋の中を見回せば、視界に入ったのは、闇夜の広がる窓。締まり切らないカーテンの隙間、鏡のように反射して部屋の中を写すそこには、興奮しきったセヴェン自身の顔が浮かび上がっていた。広がった鼻の穴、音の正体はそこから発生していて、慌てて息を整えようとしたけれどうまくはいかない。
むしろますます煩くなって部屋に満ちてゆく息の音に、すっかり追い詰められたセヴェンは、自分の行動の意味を把握しないままら眠るアルドの薄いシャツの上、胸の辺りにするりと手を這わせる。
すると上がったセヴェンの息の音とは対照的、緩やかな心臓の音がとくとくと手のひらを叩いた。まるでアルドの命を手の中に握っているような錯覚を覚えて、がぶりがぶり、辛うじて体裁を保っていた理性が粉々に噛み砕かれてゆく。

鎖骨、喉仏、顎先、徐々に心臓から移動させた指先は微かに震えていて、それでも止まりはしなかった。
そしてとうとうたどり着いた唇、肌とは違う質感の湿ったそれにくぷんと指が沈んだタイミングで、「ん……」とアルドが呻いたから反射的にバッと手を引っ込める。
けれどやっぱり、それでもアルドの目が覚める事はなくって。
むにゃむにゃと唇を動かして、ぺろりと突き出した舌先でセヴェンの触れた場所を舐め、へにゃりと笑ったから。

ぷつん。
最後の最後、セヴェンを押しとどめていた細い理性の糸が、脆くも引きちぎれる音がした。

「アルド、アルドっ、好きっ、好きだ、なあ、アルド、アルドぉ」

がばり、眠るアルドに覆いかぶさり、ちゅっちゅとその顔に唇をあててゆく。瞼、頬、こめかみ、鼻先、眉間。合間、必死で名前を呼びながら、自分のものとは違う体温に触れるたび、ぞわぞわと腹の底が熱くなって、ぐつりと頭が煮えてゆく。
そして顔中のあちこち、キスの雨を降らせたあと。少しの躊躇いの後、最後、ゆっくりとその唇に、自身の唇を押し当てた。
薄く濡れた感触、ふにりと凹んで形を変え、セヴェンのものとぴったりとくっつく柔らかな肉。たったそれだけの接触で、触れた部分からじんじんと甘い痺れが背筋を駆け上って脳天を突き抜けた。
たまらずセヴェンは己の下半身に触れ、下着ごとズボンを脱ぎ捨てる。取り出した陰茎は既にガチガチに硬くなっていた。

片手で竿を擦りながら、夢中でアルドの唇を吸う。時折アルドが唇をもごもごと動かすたびヒヤリと冷たいものが背筋を流れるのに、握った竿は萎える事無くますます硬度を増して、吸い付く唇に力が入る。
アルドが起きたらどうしよう。
軽蔑されて嫌われるかもしれない。
二度と口をきいてもらえなくなるかもしれない。
恐怖で胸は震えるのに、想像した最悪に逆に煽られていよいよ歯止めが効かなくなってゆく。絶対に目覚めては欲しくないのに、今すぐ目を開けてこちらを見てほしくて、矛盾した気持ちに交互に揺すぶられますます熱が高まってゆく。

深い眠りに沈んでいても、何かしら異変を感じてはいたのだろう。ごそりごそり、頻繁に顔の向きを変えて小さく唸るアルドの唇を、それでもしつこく追いかけて吸っていれば、とうとうごろり、大きく寝返りを打って横向きになり、柔らかなマットに顔の半分ほどが埋まってしまった。
そんなアルドの動きがまるでセヴェンへの拒絶のように思えて、ずきり、胸にナイフを突き立てられたように鋭い痛みが走ったけれど、昂った熱は引いてはくれなかった。
唇の代わり、剥き出しになった首筋をさわさわと唇でなぞって、すんすんと匂いを嗅ぐ。甘い石鹸の匂いはついさっき風呂場で嗅いだのと同じで、自分も同じ香りを纏っている事を自覚して痛んだばかりの胸がかっと熱くなる。つんと舌で触れてみれば少しだ苦くて、例えようもなく甘かった。
すうはあと深い呼吸を繰り返し、ぺろりと伸ばした舌でその肌を味わううち、覆った石鹸の膜が薄れてゆき、アルドの匂いが濃くなってゆく。剥がれ落ちた膜の下、薄い塩気をたっぷりと口の中に含んで、温められてくゆる香りを夢中で嗅ぐ。ふうふうと至近距離、肌に当たって跳ね返った息の湿気で頬まで湿っても、飽きること無くまたたっぷりと息を吸っては忙しなく吐き出した。

握った陰茎はいよいよ限界を迎えていて、あと数度擦れば果てるというタイミングで。
ぴたり、手の動きを止めたセヴェンは、ぎゅうっと根元を抑えておもむろに体を起こすと、荒い息のまま眠るアルドの手元をじっと見た。
もう十分、後ろめたいことはしてるのに。
アルドにとても顔向けが出来ないのは当然のこと、自身の恋心にすら泥を塗るような事をしているのに。
加速した欲望は、止まることなく更なる欲求を脳裏に囁いた。
躊躇いは、一瞬だけ。
腹の辺りに添えられたアルドの手を掴んで慎重に開かせると、その手のひらの中。猛った陰茎を押し付けて、アルドの手のひらごと自身の手で握り込む。
竿の側面、当たる皮膚の感触は、己の手のものとは全く違った。硬い手のひら、ごつごつとした剣だこ、指の太さ、関節の位置。その全て、なにもかもがそれがセヴェンでなくアルドのものだということを示していて、握りこんだだけで腰が震えて、射精しそうになった。
ぎりぎりで堪えたセヴェンは、眠るアルドの寝顔と手を交互に見やり、はあはあと熱い息を吐き出す。
すうすうと寝息をたてながら無防備に眠るその顔は起きている時よりあどけなくて、うっすらと微笑んでいるようにすら見える。悪い夢なんて一つも見ていないような、穏やかな寝顔だった。
なのに視線を辿った先にある、手のひら。その手には、興奮しきった男根を握らされているのに。
まるで悪夢のような現実を、知らないままアルドは眠り続けている。
ごくり、鳴らした喉は一度では口の中、溢れた唾を飲み下せなくて、ごくり、ごきゅり、何度も何度も喉仏を上下させて嚥下した。
おそるおそる、握りこんだ手のひらを滑らせれば、引っかかった剣だこの刺激が気持ちよくて、すぐに動きは早くなってゆく。わざと先走りを塗り込むように押し付けて、べたべたと湿ってゆく手の中、眠るアルドがきゅっと指に力を込めたせいで締め付けが増し、まるでアルドの意思で握られてる心持ちになってきゅんと睾丸の付け根が疼く。
気持ちよくて、頭が沸騰して、気づけば手だけでなく腰も一緒に動いていた。

「アルド、アルドぉ、ごめん、ごめん、アルド、ごめっ」

はっはっと吐き出す熱い息の合間、繰り返すのはアルドの名前と謝罪の言葉。アルド、ごめん、アルド、ごめん、交互に口にするたびツンと鼻の奥が痛くなって、目頭が熱くなる。
腰を突き出すたびにずきりと胸が痛んで、滲んだ罪悪感が全身を巡り、哀しさの波に飲み込まれてしまいそうになるのに、ぐつぐつと煮えたぎる熱は収まるどころか一層深まってゆく。辛くて悲しくてたまらないのに、その全てに興奮もしていた。
ぐるぐると身体を巡るどろりとした熱が下腹に集まり、弾けるような強烈な快感が付け根から上ってきて、ぎゅうと握った手の中。びくん、びくん、小刻みに震えながら精液を吐き出す先端、アルドの手の中に収めたまま放出の快感にうっとりと身を浸す。果てると同時、つう、と頬を垂れた雫が、火照った頬に冷たかった。

射精を終えて完全に陰茎が力を失ってから、ふう、と身体の力を抜き、握りこんだアルドの手をそっと開かせる。べったりと絡んだ白濁にひゅ、と息を飲んで、近くにあったアルドの髪を拭いたタオルを掴んでごしごしと乱暴に拭った。
ぽた、ぽた、シーツの上、アルドの手のひら、目尻からぽたぽたと落ちる雫を止めることなく、何度も何度もタオルを押し付けて自身の痕跡を消してゆく。
やがてすっかりと白濁を拭き取って、剥がした布団を肩まで掛け直してやって。最後、見つめたアルドは、やっぱり穏やかな顔をして眠っていたから。
たまらずセヴェンは割り当てられたベッドに飛び込んで、頭まで掛布の中に潜り込み、ごめん、ごめん、小さな声で呟いて涙を零す。
欲が去って冷えた頭、占めるのは罪悪感だけで、今更ながらにとんでもないことをしてしまったと、カタカタと指先が震えて仕方なかった。
なのに、震える指先に握るのは、アルドに吐き出した欲を拭ったタオル。ごわごわとした感触に気づいて、握る指先に力を込めれば自然と、先程の全てが脳裏に蘇る。
眠るアルドの顔、唇の柔らかさ、肌の匂い、硬い剣だこ、白く濡れた指の節。一つ一つ、くっきりと浮き上がるごと、罪悪感のなかにじわりじわり、再燃した熱が混じってゆき、気怠い腰に火がつきそうになってゆく。自分のものとはいえ、出した精液を拭ったタオルなんてさっさと放り出してしまいたいのに、それがアルドの指を穢したものと思えば、握る指の力がますます強くなる。

結局、篭った布団の中でもう一度。記憶を辿って下半身を腫らしたセヴェンは、押し当てたタオルの中、二度目の精を放つ羽目になった。罪悪感を快感に変えて、脳裏に焼き付いたアルドを隅々まで貪り尽くした。
それがまた、情けなくて、悲しくて、おぞましさに吐き気すら覚えていたのに。
たまらなく、気持ちがよかったから。
潜り込んだベッドの中、セヴェンは丸めたタオルをかき抱いてずずっと鼻を啜った。



とてもアルドの顔をまともに見られる気がしなかった。
真正面からアルドの瞳に見つめられれば、罪悪感でおかしくなってしまうと思っていた。
なのに。

「アルド、起きろ」

差し込む朝日に明るくなった部屋の中、既に身支度を終えたセヴェンが、未だ枕を抱えて眠るアルドの肩を揺すりながらかける声は、驚くほど平静だった。
触れた指に余計な力が入ることもなく、揺する手の動きは不穏に支配されてもいない。

「ふわあ……おはよう、セヴェン……」
「……おはよ」

しばらくしてやっと重い瞼を開き、ぼりぼりと腹を掻いて欠伸をしたアルドに、返した朝の挨拶もちっとも不自然でなく、滲ませた呆れの色もぴたりと現状に馴染んで溶けこんでいた。
自身を警戒する己は確かに存在しているのに、まるでそのだけ切り離したようにセヴェンの身体はいつも通りをなぞって再現してゆく。
少し目を離せばこくりこくり船を漕ぎ始めるアルドに根気強く声をかけ続け、ようやく意識がはっきりしてきた頃、アルドの視線がじっと見つめる手が昨晩、セヴェンのものを握らせた方だと気づいた時には胃がひゅっと縮んだけれど、それでも表面に動揺は滲まない。

「なんか、手がぱりぱりする、ような? なんでだろう」
「……さあ、空調があってなかったのかもな」

首を捻ってぐっぱと手を握っては開くアルド相手に、口をついたのはまるで正解からは程遠い空とぼけた言葉。アルドはセヴェンの言葉によく分からないけどそうなのかも、とあっさりと納得したように頷くと、すぐさま意識を逸らしてさっさと身支度を始めた。
豪快に寝間着を脱ぎ捨て、着替えを始めたアルドを横目に、ふ、とセヴェンが小さく吐き出した息は、後ろめたさを誤魔化すものでなく、心底の安堵を示すものでしかない。
生まれた安堵は怖気が走るほど優しく心を撫で、後悔で縮んだ思考を甘く解きほぐし、ほうら、と心の奥でほの暗く囁いて誘う。
昨日、眠りに落ちる前。涙に濡れた己ならきっと、にべもなく撥ね付けただろうそれを、しばし目をつぶって内に響かせたセヴェンは、一つ頷いてから拾い上げた。
そうして。てきぱきと服を身につけて、細かな装飾品の留め金をぱちりぱちり、留めてゆくアルドに向けて、さも今思いついた風を装って、口を開く。

「なあ、アルド。今度さ、一緒にどこかに出かけないか? ……二人で、泊りがけで。息抜きもさ、たまにはいいだろ?」

さらさらと紡がれる誘い文句は淀みなく、驚くほど自然だった。
それもいいな、笑ったアルドに、とくり、セヴェンの胸が高鳴った。
笑うアルドの顔を見つめ、浮かぶのは昨日のこと。アルドの知らない夜のこと。
昨日はあんなに悲しくて、情けなくて、胸が痛くて張り裂けそうだったのに。
今、朝日の照らす部屋の中、早送りで綴るそれを先の予定に重ねてみても、吐き気を覚えるような後悔の塊はせり上がってこない。

だってアルドは、起きなかった。何にも、気づかなかった。気づないまま、今まで通りセヴェンに向けて笑ってくれた。
だったら。

ちかちかと頭の中光る警告灯の赤い光は、昨晩よりも随分と薄れて、淡い橙に変化している。やめろ、と囁く声は小さく、つきつきと胸を苛む罪悪感の隙間には、びっしりと甘い期待が滲んでいる。
約束な、笑いかけたセヴェンの口元は引き攣ることなく、柔らかな弧を描いていた。

一度外れてしまった箍は、もう。
二度と、元には戻らない。

胸の奥。
大事に大事に抱え続けた恋心が。
どろり、黒に染まった。