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「君がそれを返却することが許されるのは、血界の眷属を根絶やしにした時か、やつらを完全に葬り去る手立てが見つかった時か、この世界に存在するやつら全ての諱名を読み取った時か、その眼に頼らなくても諱名を読み取る手段が確立された時だ。それ以外でもし、君が独断で勝手にそれを返却する事を選択しようとすれば、君の妹を殺す。それとも君を殺して、それが全部彼女のせいだってあることない事告げることにしようか。どちらにしろ、彼女の未来には大きな影が差すだろうなあ。何が一番マシな方法か、君なら分かるよね、少年」

他の誰かがいる時は、努めて今まで通り、よりは少しだけよそよそしい丁寧さで、一から十までライブラでの上司の顔をして。
けれど二人きりになると途端に表情を凍らせて、事ある毎にスティーブンは念を押してくる。それがレオナルドにとって一番効果のある脅し文句だと理解して、躊躇いもなくミシェーラの名前を引き合いに出してくる。
だから義眼を使いこなせ、出し惜しむな、全てを詳らかにしろと頻繁に催促する。そうするのがミシェーラの眼を取り戻す最善の方法だと言い聞かせるように繰り返す。万が一、諱名を読み取る方法が確立されないうちに、他の手段で義眼を返却しようと画策すれば、何が何でも妨害してやると隠すこと無く告げてくる。
最初はいちいち腹を立てていた。
特にミシェーラの事となれば、レオナルドの思考は著しく偏り、視野狭窄に陥る自覚も十分にあった。だからこそ、そこを容赦なく突いてくる真似をする男が、憎らしくてたまらなかった。

けれどMr.マッドの話を聞いて以来、憎む事が難しくなってしまった。
相変わらずミシェーラを引き合いに出される事については腹が立つし、許してもいないけれど、それがスティーブンにとっての最低限の妥協点なのだと理解してしまったから、最低だと軽蔑することが出来なくなってしまったのだ。

そう、だって、理解出来てしまうのだ。
レオナルドだって、ライブラとそこに所属する人達の事はみんな、大切に思っている。忌々しい眼の力を、彼らのためなら惜しまず使う事に躊躇いがないくらいには。
けれど、もし。
スティーブンの妨害をくぐり抜け、諱名の読み取り方法が確立されてない時点で、リガ=エル=メヌヒュトからの接触があって、義眼の返還に伴うミシェーラの光を取り戻す方法を提示されたならば。
間違いなくレオナルドは、それを選ぶ。選んでしまう。
神々の義眼を失う事によって長老級の血界の眷属との戦いに大きな支障が生じる事を理解して、それが大事な人達の命を縮める事に繋がったとして、レオナルドはきっとミシェーラを選んでしまう。

だってそれを逃せばもう二度と同じ機会は巡って来ないかもしれない。
躊躇いが今度こそ、永遠にミシェーラから光を奪い去ってしまうかもしれない。
そんな事が、許せる筈がない。

だからきっと、必ず、レオナルドはミシェーラを選ぶ。
いくらスティーブンに脅されようと、それはどうしたって譲れない、レオナルドの中の決定事項だ。
その機会をどれだけ妨害されようと、為してしまえばおそらくスティーブンは、少なくともミシェーラには手を出さないとの確信があるからこそでもある。裏切りはレオナルド個人のもので、ミシェーラは関係ない。まるで見せしめのように、裏切り者の大事なものまで奪い尽くしてしまうほど、その処分方法は苛烈ではないとレオナルドに見透かされてしまったのはスティーブンの落ち度だ。
神々の義眼が失われたあと、現れた長老級に身近な人達の命が狩られれば、罪悪感で気が狂いそうになるだろう。けれどおそらく、後悔は出来ない。たとえ時間を巻き戻して同じ時を繰り返すとして、リガ=エル=メヌヒュトとの邂逅が為されれば、レオナルドはミシェーラを選ぶ。その後に、どれほどの屍が築かれるか理解していたとしたって。

スティーブンにとってのライブラが、クラウスが、レオナルドにとってのミシェーラだと思えば、その行動原理に腹を立てるより先に、理解を寄せてしまう。
何があっても神々の義眼を失う訳にはいかず、しかしいつ失われるか保証のないそれに頼りきるのは心許ないから代わる手段も見つけねばならない。だから神々の義眼を研究し尽くして、仮に不測の事態によってそれが無くなったとして、対処出来るべく動く。
そこに。レオナルドの事情が僅かなりとも汲まれてる時点で、レオナルドが降参してしまうのには十分すぎる威力があった。
スティーブンの目的のためには、別にレオナルドの事情を斟酌する必要なんて微塵もないのだ。契約の有り様になるて気を向ける必要がなく、補助的に諱名を読み取る方法が見つかったとして、気にせず使えるだけ義眼の力を利用し尽くせばそれが一番いい。
なのにスティーブンは、目的を最優先にしつつ、レオナルドの事情も汲んだ妥協点を提示してくれている。それを選べばミシェーラの眼が取り戻せるかもしれない希望が生まれるだけでなく、その後に起こるかもしれない親しい人達の死への罪悪感で狂う未来すら、回避出来るかもしれないもの。
まさしく、譲れないものを突き合わせた結果、ぎりぎりの所で見つけた妥協点。些かスティーブンの方に比が傾いてはいるけれど、完全にあちら主導で為されていることを考えれば、望外の条件だった。

成果が出るまでの時間を早めたければ後は、レオナルドが努力すればいい。Mr.マッドの要求する通り、限りなく用途を絞って限定的に義眼の力を発現させて、そこに浮かぶ文様を読み取らせる。義眼の使い途を増やして、その文様の読み取りすら自身で出来るようにと可能性を広げてゆく。電子顕微鏡のように、血界の眷属の塩基配列に刻まれた呪文を読み取れるようになるのが、今の一番の課題だが、Mr.マッド曰く不可能ではないとの事。少なくとも神々の義眼で血界の眷属を視認した際に、諱名が浮かび上がる仕組みについては、そのDNAに絡繰が組み込まれている可能性が高いと言われてからは、諱名だけでなくその周辺に呪術の気配が無いか注意して読み取るようにもなった。
何もかもすぐに結果に結びつく訳ではないけれど、闇雲に手がかりを探していた頃よりはよほど、目的に近づいていっている実感があった。

「要は、諱名さえ読み取れればいいんだ。完全に複製する必要はない。そう思えば案外、いけそうな気がしてくるだろう」

脅しめいた事ばかり口にするくせして、たまに思い出したようにスティーブンは、飴を与えてくる。
それは大抵、スティーブンの家で二人で食事を摂っている時。
馴れ合った結果というよりは、その逆。事務所の皆にはけして言えない、実験や義眼の用途についての報告をするために設けられた。

「0から手探りで1を作り出すのは難しい。だけどね、1を1.1にするのはけして不可能じゃない筈だ。少なくとも0を1にするより、可能性がある。何たってサンプルがあるんだからね。人の世界はそうやって歴史を積み上げて来たんだ、出来ない訳が無い。一度新しい手法が発見されれば、それを応用した技術が見つかるのは時間の問題だ」

それを語る時、スティーブンはひどく遠い目をする。何かに焦がれるような、渇望するような、遥か未来を望んでやまないような、そんな眼をして飴を差し出す。
時にそれは、レオナルドに与えるというより、スティーブン自身が噛み砕くために口にしているような気さえした。

「だからそれまでは絶対に死ぬな。何が何でも生き延びろ。諱名を読み取る手段はまだ、君のそれしか無いんだ。もしも勝手に死んだら、君の妹の平穏は脅かされると思え」

それでも最後には結局、脅し文句で締め括られるのだけれど、レオナルドは最早それに腹を立てる事も無くなっていた。
勿論ミシェーラを引き合いに出される事は気に食わないけれど、それが実行に移される可能性は限りなく低いと理解した上で、目の前の男に同情に似た気持ちすら抱くようになっていたからだ。

恐ろしく優秀だけれど、その感性は存外、普通の人間だというのが、スティーブンからの脅し文句を定期的に聞かされるようになったレオナルドが感じた、男の印象だった。
神々の義眼の性能が詳らかになってゆく過程で、必然的にスティーブンのオーラや後暗い仕事についてもその眼で見透かせてしまう事が知れ、丁度いいとばかりに脅しが嘘でないと示すように、そちらの仕事についてもレオナルドに隠そうともしなくなったけれど。義眼の実験にそんな、裏切り者の人材を活用する機会だって増えてしまったけれど。

そんな面を見せつけられる度、レオナルドは無性に切なくなってしまう。
確かに非情な手段を用いるし、切り捨てるとなれば躊躇いがない。脳に干渉してまで吸える情報は吸えるだけ吸うし、裏切り者に容赦はしない。
けれどそれが彼の本質かと言われれば、多分、違う。
ある意味、消去法の結果なのだ。
他にそれをやれる人間がいなかったから、彼がやるようになっただけ。そしてそれをやれてしまうだけの、能力を持ち合わせていただけ。

いっそのこと、心の底から盲信してしまえば良かったのだと、思う。
己のする事は全て、クラウスとライブラを活かす為のもので、正しいものだと胸を張れるくらい依存して信じきって、そしてそれらのために動くことを至上の喜びと出来るほどに狂信者たり得たら、幸せだったろうにと思わずにいられない。
けれどスティーブンは、そこまで狂う事が出来ていない。己の中に優先順位を定めて、必要とあれば非情になるだけの決断を下せるだけの能力があるくせして、その真ん中には常に人間らしさを残したままだった。
裏切られたらその分だけ傷ついて、組織のために誰かを切り捨てれば、それが正しかったとあっさり割り切る事も出来ずに葛藤する。他人の真っ黒なオーラを背負ってしばらくは、まるで忘れたいがのごとく仕事に打ち込んで、誤魔化すように疲れたフリで落ち込んだ心を紛らせる。
もしも能力がなければどこかで破綻して、或いは救われた未来があったかもしれないのに、彼の不幸は全てをやり仰せてしまえる能力が備わっていた事だ。痛い痛いと泣く心を無視して、平然とした顔で恙無く仕事を終えてしまう。クラウスを傷つけたくなくて、嫌われたくなくて、全部一人で抱え込んで、泣くことすらせずに次へと進んでいってしまう。
レオナルドに脅し文句を突きつけた時に、薄ら笑いの仮面を被っているくせして、その目の奥に痛みを湛えているのに気づいたのは、Mr.マッドの話を聞いてからすぐだった。或いはそれ以前から気づいていたけれど、見ないふりをしていたものから逃げられなくなった。

酷いことを口にすれば自分自身も傷ついて、裏切られたら悲しんで、自らの有り様をたまに自問自答して苦悩して、大事な友人に嫌われたくも傷つけたくもなくて、嫌なことがあれば機嫌が悪くなって落ち込みもして、いい事があれば笑う。

レオナルドの目から見たスティーブン・A・スターフェイズという人は、どこまでいってもそんな、普通の人でしかなかった。

ほんのたまに、ごくごく一瞬、泡沫の間なら、気を抜いてもいいんじゃないかと思う。一時だけ全て忘れて、何かに縋って甘えてもいいんじゃないかと、思っている。
案外カッコつけで臆病なスティーブンが、クラウスにはけして見せる事が出来ない秘密を共有するレオナルドなんて、そんな吐き捨てる場所に丁度いいんじゃないかと、考えた事すらある。

けれど、ダメなのだ。
レオナルドが手を伸ばせば、縋りたそうにするくせして、素っ気なく振り払う。好意的に接すれば接するほど、やたらとミシェーラの存在を振りかざして突き放そうとする。
何度か無表情の下に隠した罪悪感で押し潰されそうな顔を見たレオナルドは、ようやく正しく認識してそれ以来手を伸ばす事をやめた。なんなら二人きりの時は、ひどく素っ気なく、ビジネスライクな態度に徹するようになった。
そうすれば寂しそうな素振りを見せつつ、安心したように肩の力を抜く。レオナルドの現状に、必要以上の罪悪感を抱えて葛藤する事が少なくなる。

その人に触れるにはまず、二人の間に横たわるどうしても譲れないものにある程度の決着をつけねばならないのだと、理解したレオナルドは一層神々の義眼を使いこなす事に没頭するようになった。
当然一番は、ミシェーラのため。一刻も早くミシェーラの光を取り戻すのが、心よりの悲願。あとはライブラの人達を、生かすためともなれば、気合いも入るけれどそれだけではなく。
全て終わった暁にはこの、優秀すぎるほど優秀で不器用すぎるこの人に触れて、思い切り甘やかしてやるのだと。
大義名分に一つ、個人的な感情を付け加えて、素知らぬ顔でMr.マッドの元へと通い続けた。


ようやく。
神々の義眼の研究に僅かな成果が見られたのは、始まりから数えて三年後。
諱名を読み取れるようになった訳ではないけれど、因果律操作して世界を書き換えるレベルの幻術を、一部ではあるが見破る事の出来るプログラムと試作品が完成した。神々の義眼ほどの精度はなく、しかも部屋いっぱいの演算用のハードと呪術を行使するための陣を何重にも備えてようやく、実行出来るレベル。持ち運びも難しく、本格的な実用化にはまだほど遠い。
けれど確かに、神々の義眼が保有する力の一部を、異界と人間界のあらゆる技術を使って再現することに成功した。
たった二つの眼球でそれを簡単に上回る性能を誇る神々の義眼のハイスペックな技術に驚けばいいのか、それともたった三年で僅かとはいえ上位存在の技術を再現してみせたMr.マッドの恐るべき偉業を讃えればよいのか、あるいはそのどちらもか。

試作品の稼働の成功の一報が入ったその日、珍しく上機嫌なスティーブンに呼ばれて、彼の家で夕食を共にする。
話す内容自体は、いつもとさほど変わらない。実験の進捗状況に、神々の義眼を取り巻く現状とライブラの任務について。あとは、最近になって増えた、レオナルドのフリーライターとしての仕事の報告。外に向けて発信して問題ないレベルか、出す前にスティーブンに確認を取るのが習慣となっている。
それら全てに私情を挟まず、淡々とこなすのがいつも通りの二人だけれど、さすがにその日だけは普段よりどちらも饒舌になった。
Mr.マッドの手腕を称え、今後の展望について話し合う。
試作品の実用化及び小型化については、Mr.マッドではなく別の研究者達に託し、Mr.マッドには引き続き神々の義眼の解析と機能の再現を優先してもらうつもりであること。引き継ぐ予定の研究者達は元々Mr.マッドというイレギュラーが無ければ、いずれ神々の義眼の研究を託す予定だった面々だということ。その性質上厳選に厳選は重ねてはいるけれど、どうしても今より情報の秘匿は難しくなるだろうから、レオナルドは一層身の安全を確保すべく、普段から義眼の能力を駆使すること。ついでにそろそろ安アパートを引き払って、セキュリティのしっかりした家に移ること。これは頼みではなく厳命であること。

あえてキツめの言葉で告げられる命令は、今のレオナルドにとってはさほどの抵抗なく受け入れられるものだった。
自分の身を守るため、となれば神々の義眼を使用する事に躊躇いがあっても、神々の義眼を守る事が引いてはミシェーラの光を取り戻すためと理解してからは、ある程度割り切って使う事が出来るようになった。習熟度を上げればそれがデータの精度を上げる事に繋がると分かれば、なおのこと。
家についてもライターの仕事をするようになってから、以前よりかなり収入が増えたので難しくはない。未だ余裕があればミシェーラへの仕送りに注ぎ込んでしまいそうになるきらいはあるけれど、ライターをしてゆく上で、ある程度の投資は必要だとも重々承知していたから、何が何でも安アパートに拘るほどの頑なさはそれなりに緩和されている。それも結局は、住む場所のセキュリティレベルを上げる事が、ミシェーラのために義眼の研究データを恙無く届けることに繋がる部分がある事が、大きいからではあるけれど。
目に見える結果が出た以上、変に反発する気も起きず、下された命令の言葉に素直に頷いた。
そんなレオナルドの反応が意外だったのか、少し戸惑った様子のスティーブンだったけれど、すぐにいつもの調子を取り戻して、適度にレオナルドへの牽制の言葉を投げつけながら、今後の話を続ける。

いつもと違った事を挙げるならば、さすがに諸々の処理で走り回ったらしいスティーブンが、その上機嫌に反して身体は疲れきっていたこと。
けれど上機嫌故に手元のグラスに酒を注ぐ手が止まらず、レオナルドが気づいた時にはすっかりと酔っ払ってしまっていた。
食事を終えて立ち上がった瞬間、危なっかしくふらついたから慌てて駆け寄って支えても、振り払われることなく体重を預けられる。
そのまま寝室に誘導するレオナルドに、反発すること無く大人しく従う様に、少しだけ心が弾んだ。滅多にないそれが、寝室に向かうまでの短い間で終わってしまうのは非常に残念だったけれど、無駄に引き延ばそうとはせず、明日に記憶が残ってもいいように、渋々を装って慎重に足を進めた。

開けた寝室の扉の先、やたらと大きなベッドにその身を横たえて、靴を脱がせて掛布を掛けてやる。さすがに着替えさせるのは、断念しておいた。
そのまま、何もせず寝室を出てゆこうとしたレオナルドの腕を、ふいに伸びてきたスティーブンの手ががしりと掴む。
そして、アルコールでとろんと蕩けた眼でレオナルドを見つめて、ふわりと口元を緩めて。

「いつかその眼に頼らなくても、諱名を読み取る事が出来るようになったら」

まるで素敵な未来を語るかのように、スティーブンが話し出す。楽しそうに、嬉しそうに、切なそうに、恥ずかしそうに。

「次は君の妹の眼を取り戻そう。そうしたら」

諱名を読み取る事も、ミシェーラの光を取り戻すことも、本当のゴールでは無いとでもいうように、そうしたら、と続けたスティーブンはそこで、一旦言葉を止めた。
そしてゆっくりと目を瞑り、はあと大きなため息を吐き出してから、小さな小さな声で呟いた。

「やっと君に、好きだって言える……」
「ばっ……!」

かじゃないっすか、と思わず口をついて飛び出しかけた言葉は、続いた穏やかな寝息のおかげですんでのところで留められた。けれど耳に届いてしまったその言葉まで、聞かなかった事にするのは難しかった。
掴まれた手を慎重に剥がしてから、そっとベッドに腰を下ろしてまじまじと寝顔を眺める。
腹が立つくらい穏やかで、うっすらと笑みの形を作った唇を見て、思わずレオナルドの口からため息が零れる。馬鹿じゃないっすか、と今度は遮る事なく小声で最後まで、言い切るオマケつきで。

冷静に考えれば、あれだけせっついてきたのは勿論、いつまで存在するか不確定な神々の義眼に頼ることなく諱名を読み取るシステムを構築するためが大部分ではあるだろうけれど。
レオナルドが大義名分の中に一欠片、個人的なスティーブンへの私情を交えたように、いっそあどけない程の寝顔を晒すこの男も、同じように小さな小さな欠片をそこに、混ぜ込んでいたならば。
それがあながち的外れではない気がしてしまっている、そう思いたがってる時点で、レオナルドの心情としてはお手上げなのだ。
だから。

「……さすがに、恋人から始めるにゃ、アンタ、おっさんになりすぎてるでしょうし」

せめてもの憎まれ口を叩いて、そっと眠る男の髪を指で梳きながら思案する。
現実問題として、まだまだ時間はかかるだろうし、義眼を失った後のレオナルドの身の振り方だって考えてゆかなければならない。今まで通りでは下手すれば、好きだと言われた直後に切り捨てられて遠ざけられる。泣きそうな顔で、それがライブラとレオナルドのためだからと断言して。

「そん時は、結婚してくださいって言やぁ、アンタ、頷いてくれますかね」

だったら切り捨てられないように立ち回ればいい。まだまだライターとしては駆け出しだけれど、それなりに顔見知りは出来てレオナルドなりの情報網は出来つつある。物理的な力では今からどれだけ努力しようとも、とても太刀打ちできないけれと、情報戦ではまだレオナルドが食いこむ余地はある。偶然ではあるけれど、レオナルドの個人的な伝手でライブラのスポンサーを引っ張ってきた事だってあった。運のいい方ではないけれど意外と、人の縁には恵まれる方だ。
今はまだ、神々の義眼が無ければライブラに身を置くのも、スティーブンの傍にいるのも難しい。けれど数年後まで同じとは限らない。
簡単に切り捨てるのが難しいほどには、ライブラにとって使える存在になって、ついでに有力なスポンサーの一人二人見つけて手土産とばかりに差し出して、跪いて愛を請えば。

その時はもしかして、この男が心底驚いて頬を赤く染める様が見れるかもしれない、と。

想像してみた未来を実現するには一筋縄ではいかなそうだったけれど、赤面する男の顔がご褒美だと思えば、それを現実のものとするために動くのに何の躊躇いも生まれないのだから、本当に始末が悪いとレオナルドは喉の奥で笑う。

ミシェーラの光を取り戻したら。
そこで完結していた思考を、その先に伸ばしてみたら、見えた未来は案外悪くなくって、レオナルドは。

ごくごく個人的な、ご褒美の前払いとして一つ。
指で掬った髪の一房に、そっと。
唇を寄せて、小さく笑った。


(或いは、プロポーズまでの長い長い道のり)