まずは一回目のデートから
(どうしよう)
固いベッドの上、ブランケットを頭から被って丸まったレオナルドは、ごろごろと転がって何度目かのため息をついた。
時刻は既に深夜を軽く通り過ぎていて、外の喧騒もひっそりと静まり返っている。部屋の中に響くのは、小さな相棒の寝息と安物の時計がカチカチと刻む秒針の音。
いつもならとうに、そこにレオナルドの寝息も混じっている頃合なのに、一向にその気配はない。
ごろんごろんと狭いベッドを転がって往復しては、ため息をついての繰り返し。合間にちょっとだけブランケットの隙間から顔を出して、外が明るくなっていないことを確認してはほっと安堵してまた、意味もなくごろごろと転がり始める。
どうしてもやりたい新作のゲームを買った直後は徹夜することもあるけれど、基本的にそこまで夜更かしはしない。翌日の予定に響くし、電気代だって塵も積もれば山となる。
しかし。
今日に限ってレオナルドには、なかなか寝付けない理由があった。
(どうしよう)
ブランケットの中、膝を抱えてまた、ため息。
どうしよう、と胸の内で呟いた数は既に数十回にも達していて、けれど具体的な解決策は何も浮かばない。
(今、何時だろ)
わざわざ起き上がって時間を確認する気にはなれなかったものの、心なしか外が白み始めた気がして、いよいよレオナルドは追い詰められてゆく。
ぎゅっと目を瞑ってもちっとも眠気はやって来てくれない。
一度気持ちを切り替えようと、ブランケットにくるまったまま反動をつけて起き上がる。今の自分を追い詰めている原因を見つめることにしたのだ。
(明日、いや、もう今日だ。もうすぐ、もうすぐ)
「……ザップさんと、デート」
しかしそれは、悪手だったようだ。
改めてレオナルドを悩ませる事実を口にした瞬間、気恥ずかしさに耐えきれなくなってぎゃあと叫んで再びブランケットを頭から被る。気持ちが切り替わるどころか、どきどきと心臓が妙に高鳴ってますます落ち着かない。
どうしよう、どうしよう、と小さな声で呟いてみても、建設的な解決策なんて一つも浮かばない。黙ってじっとしていれば余計に意識してしまいそうで、ゴロゴロと往復運動を再開して気を紛らわす。
そう、何がどうしてそうなったのか分からないけれど。
今日、レオナルドは、ザップとデートをする事になっている。なんでだ。
事の発端は、一週間前のライブラの飲み会にて。
構成員の結婚祝いと誕生日パーティーを兼ねたそれはなかなかに盛大で、レオナルドもここぞとばかりに食って食って食って食いまくっていた。
それで確か、結婚する構成員をみんなでよってたかって祝福したあと、酔ったK・Kに絡まれたのがおかしな流れを作るきっかけだった気がする。
「レオっちはそういう話ないの? ほらほら、バイト先でちょっと気になる子とか!」
出来上がったK・Kにがっつりと肩を抱き込まれ、恋バナしましょ恋バナと嬉々として話しかけられ、苦笑いでのらりくらりと躱していたら、ザップとツェッド、チェインも寄ってきた。
そうして。なぜだかチェインまで目を爛々と輝かせて始まってもいない恋バナに参戦しようとした瞬間。
レオナルドの先輩が、とんでもない爆弾を投下しやがったのだ。
「その辺で勘弁してやってくださいよ、姐さん。コイツ、俺と付き合ってるんで」
「……は?」
効果は劇的。
喧騒の中、レオナルド達の周りだけが一瞬、水を打ったように静まり返る。
そして、数瞬の後。
「はあああああああっ?」
誰よりも大きな声で絶叫したのは、他ならぬレオナルドであった。
ちょっと待ってどういうこと、と混乱するK・Kよりもおそらく、レオナルドの方が混乱していたに違いない。
すぐさま気を取り直したつもりで、やだなあ冗談キツイっすわと空々しく笑ってみたけれど、ザップは同調して笑うどころか表情をキツくしてギロりとレオナルドを睨みつけた。
「なぁんでオメーが驚いてんだよ、っつーか冗談ってどういう事だよ、クソ陰毛が」
「いやいやいやいやいや、だって! 何でそんな事になってんっすか! おかしいでしょ! 冗談じゃなかったら何なんすか!」
「オウオウ、つまりアレか? お前は付き合ってもない相手とヤりまくってるクソビッチっつーこと?」
「それとこれとは話が別でしょおおおおお! っつうかそれ! アンタにだけは言われたくねぇわ!」
「待って、ちょっと待って、レオっち落ち着いて」
冗談どころかまるで本当に付き合っているとでも言いたげなザップに、ぎゃんぎゃんと噛み付いて反論している最中、売り言葉に買い言葉でうっかり余計な事までぽろりと漏らしてしまったらしい。
動揺を色濃く顔に浮かべたK・Kに静止され、ツェッドにどうどうと宥められる。
そして、ぽつり、チェインが一言。
「レオ、そのクソ猿ともしかして……」
心の底からドン引きしてます、と言いたげな目で見つめられ、ついでにツェッドが「まさかレオ君がそんな」とショックを受けたようにぶつぶつ呟くのを聞いて、ようやく。
レオナルドは己の失言を自覚したのだった。
「あーっと、それで。ザップと少年は付き合ってると」
「そーっすね」
「違います」
時間は少し経って、打ち上げ会場の隅にて。
K・Kとチェイン、ツェッドに加えて、レオナルドの絶叫を聞きつけて寄ってきたクラウスとスティーブンからなる包囲網の中心に置かれたザップとレオナルドは、何故だかスティーブンによる面談を受けることになっていた。
スティーブンから投げられた直球の言葉に、ザップは首を縦に振り、レオナルドはぶんぶんと首を横に振る。周りからは困ったような呆れたような目で見られたけれど、少々ヤケになっていたレオナルドは、頑なに頷こうとはしなかった。
「でも、レオっち。ザップっちと、その」
「ええ、その辺なんやかんやはありますけど! それだけですし、付き合ってないです」
「それだけってレオ君……」
次いで口を開いたK・Kが少し言いにくそうにしていたから、女性に皆まで言わせる訳にもいかないと勢いよく肯定してから、きっちりと否定した。
「で、ザップは付き合ってると思ってて、少年はその気はなかったと」
「……そーみたいっすね」
「う、そう言われるとなんか、僕がすげーアレなやつみたいですけど、でも相手はザップさんだし。まさかヤッたくらいでそんな、付き合ってる事になるなんて」
「レオ、言ってることがいつものクソ猿みたいなんだけど」
「レオっち……」
「レオ君……」
「うううう、だって……」
確かに。
レオナルドとザップの間には、世間で言うところの肉体関係があった。定期的に、物理的に突っ込み突っ込まれる間柄である。ちなみにレオナルドが突っ込まれる方だ。
もしも相手が可愛い女の子であったり、まかり間違って厳つい男であったとして、そういう関係になれば普通ならば、レオナルドだって相手のことをきっちりと恋人として認識していた筈だ。
けれど相手が他ならぬザップである。
たかがセックスしたくらいで、付き合っていると勘違いすれば後で痛い目を見る。少なくともレオナルドはそういうものとして認識していたし、近くで見てきたザップの姿からして間違いないと思っていた。
だからこそ一番最初、一線を越えてしまった時も努めて動揺を表に出さないように、いつも通り振る舞うように神経を使ったし、すっかりと習慣になってしまってからは度の過ぎたスキンシップの一種だと認識するようになっていた。
きっとザップにとってのセックスは、愛を確かめ合う儀式というよりも気持ちのいいコミュニケーションであって、それ以上の意味はないのだろうと思っていたからこそ。
レオナルドだって、それに合わせてきたっていうのに。
なのにザップが、レオナルドとのそれをまるで世の恋人たちの間に存在するものであったかのように言う。セックスをしただけで他は何にも変わらないのに、ヤってるんだから付き合っているだなんて、まるでこの男らしくない、世の常識に近しい事を口にする。
すっかり動揺したレオナルドが、あわあわとしどろもどろになりつつ己の見解を述べたけれど、形勢は非常に不利だった。
スティーブンには大きなため息をつかれてしまうし、K・Kにはひどく嘆かれてしまう。スティーブンの反応はまあ仕方ないとして、K・Kに悲しげな顔をされるのは結構つらい。
いつもならザップと揉めていれば大抵はレオナルド側に加勢してくれるツェッドとチェインも、今回ばかりはその限りではなかった。この人の悪影響が、だとか、クソ猿ざまあ、だとかちょくちょくザップを貶しつつも、さすがにそれはどうなんだとレオナルドにも呆れたような視線を寄越してくる。
唯一レオナルドたちの関係を知っているソニックは味方してくれるかと思いきや、ひょいとツェッドの肩に飛び乗ると、やれやれと首を振ってジト目を向けてきた。言葉はなくとも確実にあちら側だと分かる。
そんな周りの反応に調子づいた様子のザップが、大袈裟に嘆いてレオナルドの不実を責めるのも大変居心地が悪かったけれど、何より。
「レオナルド君。君にも考えがあったのだろうが、ザップもこう言っているのだ。きちんと向き合うべきではないだろうか」
なんて。
尊敬するボスの曇りのない瞳に真っ直ぐに見つめられ、懇々と諭されてしまってはいよいよ、レオナルドの立つ瀬がなかった。
真摯な言葉に止めを刺され、崖っぷちにまで追い詰められた結果。
うわあん、と情けなく泣き声を上げて、目の前にあった酒を一気に飲み干した事までは覚えている。
気づいた時には、見慣れた我が家、ではなくライブラの仮眠室で二日酔いと共に朝を迎え、そして。
ぼんやりと記憶に残る昨晩の失態に頭を抱え、恐る恐る部屋の外へ出てゆけば既に出社していたスティーブンとかち合う羽目になり。
満面の笑みの副官直々に、一週間後の休みの日に勝手に詰め込まれた、ザップとのデートの予定について告げられる事となった。なんでだ。
そこからの一週間は、本当に散々だった。
ザップ当人に代わってデートの予定を知らせたスティーブンをはじめ、顔を合わせる誰もがザップとのデートの事を知っていて、軽口を交えて楽しげにからかってくる。
それだけならまだいい。いや、ちっとも良くはないけれど、マシな方だ。
うきうきとオススメのデートスポットを教えてくれたり雑誌を押し付けてくるK・Kに、安くて美味しい店をボソリと耳元で告げてゆくチェイン。ソニックはソニックで、どこからか集めてきたフリーペーパーやチラシの類を渡してくるし、挙句の果てにはクラウスまで、そわそわしながらHLのあちこちで開催中のイベント一覧をまとめた紙を、100%の善意で手渡してくる。
勘弁してくれ! と何度叫びそうになったことか。
何が悲しくて、職場の先輩とのデートを上司や同僚や友達に全力でバックアップされないといけないのか。しかも悪ふざけじゃなく本気で協力しようとしてる面々が多いから余計にタチが悪い。いたたまれなさすぎる。
仮にも秘密結社のメンバーがそれでいいのかとツッコみたかったけれど、幸か不幸か差し迫った案件もなく突発的な事件も発生しなかったため、丁度良い暇つぶしになってしまったのだろう。さすがに週の後半はなるべく事務所に近寄らないようにしたけれど、前半は始終そんな調子だった。つらい。
そして肝心のザップはといえば。
多少気まずそうにはしていて、からかわれすぎれば不貞腐れて反発はしていたものの、肝心のデートの予定自体を否定しようとはしなかった。暇っすね、と悪態をつきつつもK・Kから雑誌を受け取り、クラウスの差し出したイベント一覧に目を通していた。まるで本当に、レオナルドとデートをするつもりがあるかのように。
どうしましょうツェッドさんザップさんがおかしい、と張り切る皆の輪から離れた場所で所在なさげにしていたツェッドに、動揺のままにすがり付いたのも一度や二度では済まない。
けれど一見すれば中立の立場にありそうなツェッドも、嫌そうな顔で確かに気味が悪いですけれど、と前置きをしたものの、あの人も何か思うところがあるんじゃないですかなんて、そんな言葉を告げるものだから、やべえツェッドさんがザップさんに優しくてこわい、とレオナルドの混乱をますます深める結果に至るだけだった。
そうして。
予定の中止も言い出せないまま、一週間が過ぎていった。
だってからかう色合いが強かったスティーブンやチェインだけならまだしも、割合本気でデートの成功を祈っているらしいK・Kやクラウス、それにレオナルドとザップの事を心配していたらしいソニックに、やっぱやめときますと告げることは出来なかった。無駄に積み重なったデートスポットの知識が恨めしい。
ザップに直接、やめときましょうよと言おうとした事が無かった訳ではないけれど、事務所では完全に応援体制の同僚達がいて言い出せず、彼らのいない場所で話をつけようとすればなぜだか肝心のザップが捕まらない。いつもなら呼んでもないのにレオナルドの部屋に押しかけてくるくせ、この期間に限ってはさっぱりと姿を見せなかった。
メールで打診しても、返事はなし。愛人や行きつけの酒場のマスターに伝言を頼んでみても、何のリアクションもなかった。
そしてキャンセルがきかないまま、迎えた前日の夜。あんまりにも音沙汰が無さすぎて、周りが盛り上がってたのに乗っかって悪ふざけをしていただけで、本気で何かするつもりはないのだろうと、すっかりと油断しきっていたタイミングで。
ようやく届いたメールに書いてあったのは、キャンセル通知でも冗談のネタバレでもなく、『明日十時、家で待ってろ。ちっとはマシな服着とけよ』と。まるで本当に、レオナルドとザップがデートに出かけるような文面で。
(どうしよう)
全く心構えが出来ていなかったレオナルドは、メール画面を表示したままの端末を握りしめ、しばらく部屋の中を意味もなくうろうろしたあと、とりあえず一旦寝て落ち着こうとベッドの中に潜り込んだのだった。