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(ででででデートだ!)

結局。
一睡も出来ないまま朝を迎えたレオナルドは、半信半疑のまま一応、いつもよりは多少小綺麗な格好をして部屋で待機していた。
小綺麗とはいってもそれほど服を持っている訳ではなく、ジーンズにシャツを合わせただけのシンプルな格好である。素っ気なさすぎてデートには些か不向きであるような気がしたけれど、まだ悪ふざけの可能性を信じていたから、あまり気合いを入れすぎるのも嫌だった。
しかし全く意識しないでいるのも難しくって、バスルームの鏡で何度か寝癖をチェックしてしまったし、気づけば時計を見つめていて、約束の時間が近づいてくるのを気にしてしまう。
せめてソニックが居てくれれば話をして気を紛らわす事が出来ただろうけれど、生憎と小さな相棒はレオナルドの着替えを見届けた辺りで、早々に部屋を出ていってしまった。きっと気を遣ってくれたのだろうが、今はその気遣いが心細かった。
そわそわと落ち着かず掃除を始めてみたり、テレビの電源をつけたりけしたり、何度も冷蔵庫の中身をチェックしているうち。
とうとう、その時がやってきた。

きっかり、十時丁度。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
その音に飛び上がりそうなくらい驚いたけれど、ザップならもっと乱暴に戸を叩いて煩く騒ぐ筈だと自分に言い聞かせ、違う相手が立っている事を期待して恐る恐る玄関に近づいた。
しかし、覗き穴から確認すればそこにいるのは紛れもなくザップだった。
マジかよ、と呟いてチェーンとロックを外し、開けたドアの向こうにあった人影を改めて上から下までチェックしても、それはザップ本人で間違いなかった。念の為に義眼で隈無くチェックしてみても、やっぱりザップ以外の何者でもなかった。
オウ、とらしくもなく落ち着いたトーンで片手を挙げたザップは、じろじろと胡散臭げに観察をするレオナルドの頭を軽く叩いて笑ったあと、ん、と反対側の手に握っていたものを差し出してきた。

「ななな、なんすかコレぇ……」
「花。持ってくと邪魔だから、部屋ん中置いてこいよ」
「はははは花、えっ、なんで花」
「はっ、これだから陰毛君は。デートっつったら花持ってくのは基本だろーが」
「ええええええ、えっ? あ、ありがとうございます……?」
「オウ、はよ置いてこいや」

渡されたのは、一本の赤い薔薇。
レオナルドだって、その辺の知識が全くないという訳では無い。ドラマや映画でデートに花を持って現れる場面は何度も見たことがあるし、ミシェーラ直々に女の子が喜ぶデートのシチュエーションを聞かされたことだってある。
けれどそれはあくまで画面の向こうや想像上の男女の間で行われているもので、まさかザップとレオナルドの間に登場するなんて思ってもみなかった。
衝撃のままなし崩しにそれを受け取って、一旦部屋の中に引っ込んだレオナルドは、渡された赤い薔薇をまじまじと見つめ、うぐううあ、と小さな声で呻く。

(で、デートだ……!)

周りがあまりに盛り上がるもんだから引っ込みがつかなくなっただけだと思っていた。
多少動揺してそわそわと落ち着かなかったけれど、いざザップと会えば普段と違う格好をしてることをからかわれて、いつもの調子を取り戻せると思っていた。
マジめんどくさいことになりましたねなんてお互いにため息をつきながらその辺を適当にぶらぶらして、後で何かを聞かれたら口裏を合わせればいいと思っていた。
けれど渡された薔薇が、まるで本当に今からザップとデートをすると告げているみたいで、じわじわと頬が赤く染まる。

(どどどどどうしよう)

混乱してしばし固まっていれば、少し強めにドアが叩かれる。はよしろや、と急かすザップの声に慌ててその辺のコップに水を入れて薔薇を突っ込んから、すうはあと大きく深呼吸をする。ついでに、思い切り頬を叩いて気を取り直す。
ちょっぴり強く叩きすぎたせいか頬がじんじん痛かったけれど、緊張と動揺で赤く染まった色を誤魔化すには丁度よかった。

ザップに言われるままにランブレッタの後ろに乗って、連れていかれたのはアンダンタル広場。よくツェッドが大道芸を披露している場所で、そんなツェッドの姿を見にザップと二人で何度か来たことがある場所だ。
K・Kに勧められた雑誌にあったデートスポットの中には男二人で行くにはちょっと気後れしそうな場所も沢山あったから、一体どこへ連れて行かれるのかと恐々としていたら、見慣れた場所が現れてほっとしたのも束の間。
なあんだ、ちょっと変な感じになってたけどいつも通りじゃん、とこっそりと胸を撫で下ろしたレオナルドの手を、ザップが握った。それもただ握るのではなく、しっかりと指を絡めて。
ひええ、と情けない悲鳴を上げたレオナルドの反応にザップは、ガキかよと軽く笑ってみせたけれど、それ以上からかうこともせず握った手を離そうともしない。さり気なく離れようと試みたものの、握る手の強さが強くなってますます逃れにくくなる結果に終わってしまう。

「お前、手、べっちょべちょじゃね」
「……じゃあ、離せばいいでしょ」
「したら、らしくねぇだろ」
「うええぇ、勘弁してくださいよ……」

ザップと仲良く手を繋ぐなんて事は勿論したことがないし、しかも指まで絡めた慣れない繋ぎ方をされてしまえば、いくら相手がザップといえども免疫のないレオナルドが緊張してしまうのは仕方のない事だと思う。
すぐさま触れた場所に大量の汗をかきはじめ、すかさずザップに指摘されて鼻で笑われた。そっぽを向いて不貞腐れたのはムカついたのもあるけれど、自分でもどうかと思うくらい分かりやすく湿った手が気恥ずかしくてたまらなかったから。
それでもザップは、やっぱり繋いだ手を離してはくれない。さぞ気持ち悪いだろうと思うのに、嫌そうな顔をするどころか楽しげにニヤついている。
そのままずるずると引き摺られるように、広場の方へと進んでいった。

アンダンタル広場ではあちらこちらで、様々な大道芸が披露されていた。
全身を金色にペイントしたヒューマーによるパントマイムや、複数の腕を持つ異界存在によるナイフを使ったジャグリング。バルーンを操るクラウンに、玉乗りをするバイオリン弾き。
その一つ一つにいちいち足を止め、二人して見入る。
とても人間業とは思えない、中には異界存在も混じっていたけれど、彼らの鮮やかな手際に見惚れて感動するうち、気づけばいつもの調子を取り戻しつつあった。
あれすげえっすねザップさん、と隣の男に話しかければ、俺だって出来るわあんくらい、と無駄に張り合ってくるからおかしくて笑ってしまう。さすがにバイオリンは弾けないでしょ、と言えば、あんなもん適当にやりゃいけんだろ、なんてパフォーマーが聞けば怒りそうな事を言い出すもんだから、慌てて口を塞いだりもした。
そんな風に話していればそのうち、握った手もそれほど気にならなくなってくる。
正確には、ふとした瞬間に絡んだ指にきゅっと力がこめられてどきりとするタイミングはあったけれど。
それでも、始終気になって何も頭に入ってこないなんて事はなくなりつつあった。

そうして広場の入り口から順に大道芸を見物してゆき、ちょうど噴水近くに辿り着いた所で、ツェッドの姿を見つけた。ひらひらと美しく空を舞う紙の鳥たちを見る人の輪は他と比べても一際多い。

(今日も大盛況だな)

わっと上がる歓声の中心にある友人の姿をちらちらと見やりながらも、レオナルドは足を止めようとはしなかった。本当はじっくりと見物してゆきたかったけれど、状況が状況である。最初より気にならなくなったとはいえ、さすがにザップと手を繋いで歩いている姿をツェッドに見られるのは気まずい。
だから素知らぬ顔で素通りして次へ行こうとしたのに。
いつもならツェッドのパフォーマンスを見たがるレオナルドに付き合って渋々というスタンスを取るザップが、先を行こうとするレオナルドを引き留めて、見てってやろうぜなんてとてもらしくない事を言い出す。
本心では弟弟子であるツェッドの事を気にしているくせして、素直に言葉にする事のないザップからの思わぬ発言にあんぐりと口を開けて驚いていれば、ずるずると輪の中へと引っ張りこまれそうになる。
慌てて踏ん張ってその場に留まろうとしたけれど、力比べでザップに適う訳がない。引き摺られつつもどうにか必死で抵抗して、少し離れた場所から見学することで一応の話はついた。

人垣は分厚く、飛び立つ鳥の群れはよく見えても、ツェッド本人の姿は隙間から時折ちらりと覗く程度の距離。
こちらからもなかなか見えないのだから、あちらだって気づいてはいないだろうと油断して、素直にパフォーマンスを楽しみ始めた頃。
何度目か、紙の鳥の群れが規則正しく編隊を組んで羽ばたいたタイミングで。
その中の二羽が寄り添いながら群れを外れ、ひらひらとレオナルドたちの目の前に舞い降りてくる。咄嗟に自由な方の手を出して受け止めれば、ぴったりとくっついたままの二羽はまるで番のようで。

「魚類にしちゃぁ気がきいてんじゃん」
「えええ、まままさかツェッドさんが」

カップルを相手にするようなパフォーマンスだなと思ったもののすぐに首を振って打ち消したのに、ザップの言葉で肯定されてしまって情けなく眉尻を下げた。
たまたま偶然だと己に言い聞かせたけれど、そんな時に限って人垣の間から見えたツェッドとばっちり目があってしまう。しかも苦笑いに似た表情を浮かべて軽く頷かれてしまった。舞い降りた二羽は、意図的にそうしたとものだとでも言うように。

(ツェッドさんは違うと思ってたのにいぃぃ!)

人のデートになぜだか張り切る同僚たちの輪に加わらず距離を置いていたはずのツェッドの思わぬ参戦に、いたたまれなくなったレオナルドは、次に行きましょうとザップを急かして握った手をぐいぐいと引く。二羽の鳥は、少しだけ迷ってから尻のポケットにしまっておいた。

ランチはそのまま、アンダンタル広場の出店でホットドッグを買って食べることになった。レオナルドが財布を出す前にザップが支払いを済ませたから、槍でも降るんじゃないかと心配になる。
日当たりのいい芝生の一角に腰を下ろして、ホットドッグに齧りつきながら、すぐさま抱いた疑念を口にした。

「ザップさんに奢られるとかこえーんすけど。マジどうしたんすか、今日」
「んー、番頭が金くれたからな。デートの支払いはこっち持ちが基本だろって。んなの知ってっけど、くれるっつーから貰っといたわ」
「えええ、保護者かよ……っつーか、その、俺別に女の子じゃねぇし、そういう扱いされたい訳でもないんすけど」
「そりゃそーだろ。お前が女ってキメーわ」
「でも、だって、今日のザップさん……」
「それはあれだ、エスコート側がやんのが筋っちゅーもん」
「ううう、そもそも何で俺とザップさんがデート……」
「あーもーうっせえ、はよ食えや」

まだ完全にいつも通りとはいかなかったけれど、多少余裕も出てきた。この際主張しとくべき所は主張しておこうと疑問ついでに告げてみたものの、なんだかんだうまく躱されてしまう。
一先ず金の出処が、変ではあるけれど真っ当であったことに安心していいのか不安になっていいのか微妙な気持ちになりつつ、言われた通りがぶりとホットドッグに噛み付く。
なんだかんだスティーブンさんってザップさんの事可愛がってるよなあ、なんて本人に言えば間違いなく凍てつく空気を向けられそうな事を考えながら、タダ飯にありつけてラッキーだと思っておこうと、腑に落ちない事情はまとめて咀嚼して飲み込んでしまうことにした。

ランチを終えてもさあ解散とはならず、引き続きデートは続行されるらしい。
再びランブレッタの後ろに乗せられて連れて行かれたのは、旧ニューヨーク水族館。

(すげえ、デートだ)

アンダンタル広場での大道芸見物より、いかにもなデートスポットらしさが増した場所に、今日何度目になるか分からないそのまんまな感想を胸の中で呟く。
ここでも手繋ぎは継続のようで、シートから降りた瞬間すかさず手を握られた。
ある程度予測はしていたけれど、改めて手のひらに自分のものとは違う熱を感じればどきりとしてしまうし、先ほどよりマシとはいえやっぱり汗はかいてしまう。

「いい加減慣れろっつーの」
「うるせーっす」

にぎにぎと柔く手を揉んで笑ったザップに憮然として答え、さっさと行きますよとやけっぱちに吐き捨てて入り口へと向かった。

崩壊前のニューヨーク水族館がどのようなものだったかは来たことがないから分からないけれど、現在の旧ニューヨーク水族館はなかなか、HLの現状に溶け込んでいた。
子供の頃に家族で行った事のある水族館で見た事のあるようなごくごく普通の魚が泳ぐ水槽の隣に、明らかにこの世界には存在していないだろう異界の魚が展示されている。割と形がグロかったり水の中から奇妙な鳴き声が聴こえてきたりと、想像していた水族館とは随分と違った様相をしていた。
てっきりカップルがそこかしこにいて、さぞ居心地の悪い空間に仕上がっているかと思いきや案外そうでもない。
確かに、と誰にともなくレオナルドは頷く。
げきょきょきょきょ、と定期的に響く正体不明の鳴き声は不気味以外の何者でもなく、デートにぴったりの水族館というよりは度胸試しに丁度いいホラーハウスっぽかった。

「なんか、すげーっすね」
「だな」

雑誌で見た時はもっといい感じの場所に見えたのに、異界の魚達の存在が強烈すぎた。
さすがのザップもコレは予想していなかったのか、しばし驚いたように固まっていた。けれどすぐさま気を取り直したようで、あっち行こうぜ、とぐいぐいレオナルドを引っ張ってゆく。向かった方向には異界の魚しか存在していない。

(だよなあ。ザップさん、ただの魚よりあっちのが好きそうだし)

建物を目の前にした時はどうなるかと思ったけれど、これなら変に緊張せずに目の前の奇妙な魚達に集中出来そうだと少し安心して、繋がれた手に引き摺られるように小走りで駆けていった。

「ザップさんこれ、形やべえっすね」
「クソ不味そうだな」
「食べれるんすかね」

数十本の足の生えた、黄色の海老のような何かの前でひとしきり気持ち悪いと頷きあったり。

「うっわーコレお前にそっくりじゃね? 陰毛だわ陰毛」
「はあ? 全然似てねーし」
「いーや、生き写しだわ」

真っ黒いうねうねした細い針を纏った、メドゥーサの頭のような丸い塊を指さして似てる似てないと騒いだり。

「これ完全にウサギじゃないですか?」
「ウサギの肉って結構うめーんだよな」
「ああ、俺も好きっす」

明らかにウサギにしか見えない魚が水の中を器用に泳ぐのを眺めたり。

「ザップさんあれ! すげースティーブンさんっぽい!」
「ぎゃははマジだ! 番頭やべー!」
「やべーK・Kさんに見せてぇ!」

頬に大きな傷のある眼光鋭い海蛇のような生き物を見つけて、我らが副官にそっくりだと大笑いしてみたり。
未知の生き物を見つけるたび、いちいち足を止めて笑ったりはしゃいだりしていたものの、さほど規模の大きくない建物の中、すぐに展示された全ての異界の魚を見終えてしまう。
せっかくだからともう一巡初めから見て回ったけれど既に見知った姿には受ける衝撃も薄く、足を止める時間も自然と短くなる。一度目よりも随分と早く見終えてしまったあとは、ついでとばかりに普通の人間界に存在する魚の方も見てゆくことにした。
こちらは分かりやすく魚介類の形をしたものばかりしかいなくって、それほど楽しめないかと思いきや案外そうでもない。

「あれ、蒸し焼きにして食べるとうまいんすよねー」
「おー酒に合うよな」
「それは知りませんけど」

感想として飛び出すのは専ら、調理法や味についてで本来の水族館の楽しみ方からすれば外れていそうだったけれど、レオナルドたちには丁度良かった。
具体的な料理名まで挙げるうち今まで食べた中で一番美味かった魚料理の話になって、モルツォグァッツァは異次元の別枠でライブラの飲み会で出てくる料理は大体どれも当たり、日常的に食べるものならダイアンズダイナーのフィッシュアンドチップスがコストパフォーマンス的にも一番だという結論に達する。
途中めいめいに挙げていった店の名前も料理の名前も、どちらも揃って食べたことあるものばかり。
しょっちゅう行動を共にしているとはいえ、それってどこの店ですかと聞く必要がない程度には、同じものを食べているらしい。
それが何だかおかしくて、少しだけ照れくさかった。

飯の話をすれば自然と腹が減る。
水族館を出ればまだ夕方に差し掛かった頃で、夕飯には少々時間が早かったけれど、飯にすんぞと告げたザップの言葉にぜひそうしましょうと勢い込んで頷いた。
向かったのは、回る寿司の店。
ランブレッタの後ろのシートでザップの腰に掴まりながら、マナーやら何やらに気を遣わなければいけないようないかにもな店に連れていかれたらどうしようとちょっぴり恐々としていたので、見慣れた店の外観が目に入った時は心底ほっとした。
何でも好きなもん食えよと胸を逸らして得意げに言ったザップの軍資金は、ここでもスティーブンから貰ったお小遣いのようだ。
本当にいいのかなあ、と思わないではなかったけれど、散々からかわれて疲弊した一週間の事を思えば妥当な気もしてくる。
余ったってどうせザップがギャンブルに注ぎ込むだけだろうしと割り切ってからは、普段は食べないちょっと高めの皿にも何枚か手を伸ばし、腹いっぱいを超えて喉元までぎっしりとコメと魚を詰め込んだ。
さすがに少し食べ過ぎて最後の一つを強引に口の中に押し込んでからは、苦しくてカウンターに突っ伏してしまう。そのままちらりと横を見れば、うず高く積まれた皿の向こうに同じようにカウンターにへばりついたザップの姿が見えたから、欲張って食べるからだと自分の事は棚に上げ、ふふんと鼻を鳴らして笑ってやった。

そのまま二人してしばらくカウンターと仲良くして、店員から遠回しに退店を促されてようやく、のろのろと重い体を動かし店の外に出る。
陽は沈みかけていたがまだ十分に明るい。
言われる前にランブレッタの後ろに陣取り、次はどこへ行くのかとぼんやり考えていたら、いつの間にか葉巻をくわえて一服していたザップが、じゃあ送ってやるわとデートの終わりを告げてエンジンをふかす。

てっきり。
この先もあるものだと当たり前のように考えていたレオナルドは、突然の終わりの言葉に驚きはしたものの、何も言わずにこくりと小さく頷いた。
まだ早くないですかと尋ねるのはまるで、まだデートの続きを望んでいるようだったし、茶化すのも自分の思考を誤魔化すようで何だか気まずい。
身体を震わせるエンジン音に負けないように声を張り上げ、前に座るザップに話しかけるのがいつものスタイルなのに、この時に限っては何も言葉が出てこなくてザップも何も言ってはくれない。
レオナルドの家までの道のり。
ザップの背中を見つめながら、ただただ無言で揺られ続けた。


宣言通り、レオナルドの住むアパートの前まで送ってくれたザップはそのままシートから降りようとはせず、しかし立ち去る気配も見せない。
どうしたんですか、とようやく音に出来た言葉で尋ねれば、部屋に入るまで見といてやるよなんてまた、それっぽいことを言ってレオナルドを怯ませる。

「もう終わりっつーことで、家上がってゲームしてきません?」
「アホ、一回目のデートはスマートに別れて終わりで、家に上がるのはせめて五回はデートしてからっつうんだろ」
「なんすかそれ、どこのお嬢様相手のデートプランっすか」
「……オメーが言ったんだろうがよ」
「へ?」
「こないだのライブラの飲み会ん時」

むず痒い空気を断ち切っていつもの流れに持ち込もうとしたのに、ザップは乗ってこようとはしない。それどろか、まるで似合わない清いお付き合いの順序について語り出したから呆れてため息をつけば、なぜだか話が変な方向に転がり出した。
レオナルドが言ったことだと言われてもさっぱりと心当たりがなくて、ぽかんと口を開けて驚くと、先日の飲み会の事を引き合いに出される。

「最初は手を繋ぐだけで、軽いキスはせめて三回目から。五回目あたりで家に呼んで家族に紹介して、ヤんのは本当なら結婚してからがいいけど、せめて十回はデートして将来の約束を取り付けてから。ほんっと、どこのオジョーサマだっつーの、なあ?」
「俺が? そんな事? えっ、マジっすか? ホントに?」
「マジマジ。だってミシェーラが、とかぐだぐだ言ってたわ」
「あー、そういう……」

詳しく聞いてもやっぱり自分の言ったことだと思えない、それこそお嬢様の憧れを詰め込んだような内容には違和感しかなかったけれど、ミシェーラをくっつけると多少は納得もいった。
そこまで干渉するつもりはないし、実際は交際報告どころかいきなりの結婚報告をぶちかまされたけれど、昔、もしもミシェーラが誰かと付き合うならと仮定した時に、そんな事を考えたことがないとは言えない。選ぶのはミシェーラだとして、やっぱり大事な妹の恋人は誠実な相手であってほしいと願うのは兄として当然だろう。
それを願うならば自分だって、将来の恋人を無碍にする訳にはいかない。そこまで極端ではなくても、相手のことを大事にしようとは思っていた。
けれどそれはあくまでミシェーラやいつかの未来の恋人についてのことで、レオナルド自身をそんな風に扱ってほしいという訳ではない。特に、ザップ相手には。
だからしっかりと説明して誤解を解こうと思ったのに、口を開く前に、はんと鼻を鳴らして皮肉めいた笑みを浮かべたザップに先を取られてしまう。

「お子ちゃまにゃー、大人のお付き合いっちゅーもんが理解出来ねぇみてえだからよ。しゃーねえから付き合ってやってんだろ」

感謝しろよ、と最後に付け加えられた言葉に、レオナルドは誤解を解くことも忘れてヒュっと息を飲み込んだ。
だってそんなのまるで、ザップが本気でレオナルドとお付き合いとやらをする気があるみたいだ。
レオナルドの語ったという幼い理想に則って、面倒な手順を踏んでまで恋人になろうとしているみたいだ。
ライブラの飲み会でレオナルドと付き合っていると言ったのも悪ふざけの冗談じゃなくて、全部、全部。
本当にそう思ってるみたいだったから。

「……ザップさんって、もしかして。俺のこと、好きなんすか?」

ぐるぐると混乱して四方八方に迷走する思考の中、絞り出せたのはとてもストレートな質問の形。口にしてすぐ、もっと別の聞き方があった筈だと後悔しかけたけれど。

「ばぁか、お前が俺のこと好きなんだろうが」

自信たっぷり、不遜に笑ったザップが照れもせずにそんな事を言い放ったから、レオナルドは俯いてぐううと呻くしかなかった。
そんな訳ないでしょと否定するのは簡単だったけれど、あながち間違ってもいないから困るのだ。
いざデートをするとなればそわそわ気持ちが落ち着かなくなるし、手を繋げば緊張でびっしょりと汗をかいてしまうし、なんだかんだ一日すっかりと楽しんでしまったくらいにはデートとやらも悪くなかったし、なによりも。
ヤったくらいで付き合っていると思ったら痛い目に合うと思ってしまうくらいには、後から来るものに痛みを覚えるだろうと想像しまうくらいには、たぶん。
ザップに好意を抱いていて、そして。
変に意識しておかしくなるくらいなら、今まで通りを選んでしまう程度には、ザップと過ごす日々が好きだったから。
否定の言葉を吐き出す代わりに、一言だけ。

「次は俺が、エスコートしてやりますから」

精一杯の虚勢を張り、目の前の男に向けて次の約束を全力でぶん投げてやった。