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夢を見た。
「村長か?」
「うん。今日は豆のスープだよ」
酒場を出たところで、ちょうど家から出てきたメイの姿を見つける。その手に抱えられた鍋を見たダルニスは、僅かに眉を寄せて鍋と村長の家を交互に見た。
「そういえば、この時期だったっけ」
そんなダルニスの視線に気づいたメイも、表情を暗くしてしょんぼりと肩を落とす。
「フィーネちゃん、どこかで元気にしてるといいね……」
「……そうだな」
ぽつりとメイが呟いたのは、一人の少女の名前。
月影の森で赤子の頃に村長に拾われ、十年前まで村長と一緒に暮らしていた少女、フィーネ。引っ込み思案で、おどおどしていて、いつも村長の後ろに隠れているような内気な少女だった。月影の森で拾われたという経緯に加え、その珍しい髪色がこの村ではひどく目立ったせいで、一部の大人たちからは異物を見るような目を向けられ、悪ガキたちからはタチの悪いいじめを受けていた。
村長は必死に庇っていたし、ダルニスやメイもいじめっ子を見つければ追い払っていたけれど、俯くフィーネはダルニスたちにもどこか怯えたような視線を向けて、いつも寂しげに瞳を揺らしていた。
おじいちゃんが、わたしのせいでわるく言われちゃうのが、つらいの。わたしなんかのために、わたしさえいなければ。そんな風に悲しげに呟いては、暗い顔できゅっと唇を引き結んでいた。綻ぶような彼女の笑顔なんて、一度も見たことがない。
捨て子のくせに、せせら笑ういじめっ子の言葉をダルニスとメイがどれほど否定して慰めようとしても、少女と同じ立場ではない二人の言葉は、うまくフィーネには届いてくれなかった。ありがとう、まだ幼い少女が年に似つかわしくない大人びた顔をして小さく浮かべた微笑みには、いつだってどこか頑なな拒絶が滲んでいた。
そんなフィーネが、今から十年前、忽然とその姿を消した。
その足取りが掴めなくなる直前、彼女を月影の森で見たといういじめっ子たちによれば、どうやらフィーネは魔獣の子供と一緒にいたという。
月影の森には何度も警備隊が捜索に入った。村長自ら森に向かい、連日フィーネを探していた。けれどフィーネは見つかることなく、今の今まで帰ってきてはいない。
口さがない連中は魔物に食べられただの、魔獣に殺されただの、果ては魔獣の仲間だっただの、ひそひそと好き勝手にありもしない噂話を喋り立て、それに眉を顰めて諌めた村人たちとの間で村が二分され、一時は村の中にぎすぎすとした空気が漂っていたことを、ダルニスも幼心に覚えている。
やがてひと月ほどで、捜索は打ち切られた。捜索を続けるには、手がかりらしい手がかりが一切残されてはいなかったからだ。どうして、まだ見つかっていないのに、抗議をしにいったダルニスとメイの言葉に、このまま探しても見つかることはないだろう、と告げた警備隊員の表情は悔し気に歪んでいた。
ただ、不幸中の幸い、と言うにはあまりにも僅かな希望ではあるけれど、森でフィーネが獣に食われたり殺されたような痕跡は、何も見つからなかったらしい。だからもしかして死んだ訳では無いかもしれない、望みは低いけれど生きている可能性はある。だからダルニスたちはフィーネが生きていることを信じたいと思っているし、村長もそう信じて村を訪れる旅人や行商人たちにフィーネを見かけなかったか、今も尚、諦めることなく尋ねている。
ただ、それだけを支えに生きてゆくには、あまりにも儚すぎる希望は、徐々に村長から気力を奪っていった。落ち込んで肩を落とした背中は記憶よりも一回り以上小さくなって見え、段々と寝付くことが多くなっている。
心配した村人たちが交互に様子を見に行ってはいるが、気力が戻る気配はない。夢うつつに、フィーネ、呟く声には力がなく、すっかりとしわがれてしまっている。
そういえば。ふと、思い出す。
フィーネの傍にはいつも、黒い猫がいた。赤子のフィーネと一緒に森で拾われてきたという黒猫は、ずっとフィーネにくっついて回って、いじめっ子にも毛を逆立てて唸り声を上げてフィーネを守ろうとしていた。
あの黒猫も、フィーネと同時に姿を消してしまっている。痕跡も残さず、まるで最初からどこにもいなかったかのように。
もう、あの猫の名前すらも思い出せないけれど。あいつもフィーネと一緒に生きているといいな、と。
なぜか今日に限っては、フィーネを憂うのと同じくらい、小さな黒猫のことがやけに心に浮かんで仕方がなかった。